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詰将棋ルール論:最後の審判は完全か

スマホ詰パラで、最後の審判型の理屈を利用した詰将棋が発表された。
これはルールの観点から詰将棋として成立しているのかどうかという点について
かねてより論争のある問題だ。そこでこれについて検討してみようと思う。

最後の審判は以下のような論理構造を持っている。
・玉方歩合による逆王手がされている
・歩合に対する応手は歩を取る以外にない(それ以外に王手を外す手段がない)
・これを取ると千日手が成立する
・千日手が成立すると、攻方は連続王手をしていることになって反則負けになる
・したがって禁手として歩合による逆王手は取れない
・歩合を取れなければ他に王手を外す手段がないため攻方玉は詰みである
・攻方玉が詰みであるならば、玉方歩合は歩を打って玉を詰ます打歩詰になり禁手である
・よって玉方は歩合ができない

一見してなるほど、と思ってしまう内容を持っている。
しかしながら、これを細かく見ていくと、必ずしも正しいとは限らないことが分かってくる。
焦点は「本当に打歩詰に当たるのか」である。

1.打歩詰とは

さて、これを考える場合に最も重要なのは、本当に「打歩詰」なのかである。
であるならば、まず、打歩詰とは何か、ということを考える必要がある。
この点、打歩詰は以下のように要素の分解ができる。

・「歩を打つ」着手であること
・歩を打つ着手によって「詰み」となること

このように分解したとき、「歩を打つ」着手であることについては、本件において疑いようがない。
したがって、「詰み」に当たるかどうかが問題になることは当然の話となる。

2.詰みとは

しかしながら、「詰み」の定義を考え始めると、驚きの事実に突き当たる。
実は、将棋はルールとして「詰み」を明確に定義しているとは言えないのだ。
まぁ、そもそも、将棋の総本山とも言うべき将棋連盟が、将棋のルールを規約化していないのだから当然とも言えるんですけどね。
実は存在するのは「対局規定」のみなのです。
しかも、将棋のルールという観点から考えると、実は「詰み」を定義する必要性が余りないという点も挙げられます。
なぜなら、「投了」と「反則」が規定されていれば、理論上終局条件としての「詰み」はなくても構わないからです。
唯一、将棋のルールとして「詰み」の定義が絶対的に必要なのが「打歩詰」ルールなのです。
そんなこんなで、ある程度自力で「詰み」の定義を考える必要があります。
とはいえ、細かい論点を抜きに言えば、「詰み」は以下の要素で考えて良いといえるでしょう。

・王手がかかっている
・王手を外す手が存在しない

詰将棋の観点から言いますと、この定義ですと「透かし詰」の理論構成が困るというのは、過去に記事にしたことがありますが、
本件においてはその問題点は無視することにしますと、おおむねこれで大丈夫です。
このとき、「王手」の意味についてはそれほど問題はありません。
ポイントは「王手を外す手」の意味合いということになります。

3.王手を外す手と反則

王手を外す手には、将棋において通常指しうる手が含まれることには異論がありません。
となれば、必然的に反則がこれに含まれるか、というのが論点として残ります。
線駒で王手されているが、持ち駒が歩しかない状況での「二歩」。
入玉局面における「行き所のない駒」による王手外し。
そして、王手駒を取ると別の線駒の利きが通る「王手放置」。
これら場合が「王手を外す手としては認められておらず、詰みである」となるのか、「王手を外す手としては認められ、詰みではないが、結局反則か投了しかない」という考え方になるのか、という論点が浮上するのである。
この論点、基本的に結論に影響は出ないが、「詰み」の定義を考える上では必要な論点だ。
とはいえ、この部分、深堀りしてもあんまり本件問題には意味はないので、とりあえず、「禁手は王手を外す手には認められない」という原則があると考えることにしよう。
そこはおおむねそれでいいのだ。

4.連続王手の千日手は禁手に含まれるのか

しかし、禁手を王手を外す手として認めず、したがって禁手以外に王手を外す手が存在しない場合に詰みであると定義したとしても、
連続王手の千日手がその「禁手」の系譜に含まれるのかは別の問題として取り扱わなければならない。
というのも、そのほかの反則を構成する禁手はどれも「着手そのもの」に焦点があるのに対して、連続王手の千日手は、
「同一局面4回」「手順中に一方が王手をし続ける」という局面ないし手順に比重が置かれているからだ。
これは、他の反則には無い特徴であり、この特徴をして同様に扱うことができるかは慎重に検討をする必要がある。
このとき、連続王手の千日手の特徴を調べることは極めて重要である。
既に、連続王手の千日手が「同一局面4回」「手順中に一方が王手をし続ける」という要素を持っていることを確認した。
これによって、連続王手の千日手はどういう特徴が導き出せるか、を考える。

この点について、注目すべきは将棋連盟の対局規定における連続王手の千日手の項目である。
そこには
「開始局面により、連続王手の千日手成立局面が王手をかけた状態と
王手を解除した状態の二つのケースがある。」
という特徴が存在することが自覚的に知られていることが分かる。
連続王手の千日手は王手をしている側によって成立する反則ではないのだ。
まず先に千日手の成立があって、千日手が成立したときに一方が王手を連続していた場合に成立する反則なのである。
このことは、連続王手の千日手を他の反則と同様の禁手の系譜に含めることの理論上の困難さを提示する。
以下では、連続王手の千日手を二つのケースに分けて検討しよう。

4-1 王手をかけた状態で成立する場合

この場合は、王手をかけるその着手そのものが禁手に当たると考えることで済む。
それもそのはずで、王手をかけたその着手によって反則負けが確定するのであるから、
同一局面4回目を成立させる着手が王手であり、かつそれまでの間王手をかけ続けていた場合には、
その着手を禁手と扱うことは理論上それほど難しいことではない。

4-2 王手を解除した状態で成立する場合

一方でこの場合は難しい。というのも、被王手側の着手によって王手側が反則負けになるかどうかの選択権を
握っているからだ。
もちろん、被王手側に有効な着手が一つしかなく、それゆえ王手側の反則が確定している場合もあるだろう。
しかし、当然だが、そうでない場合も十分に存在しえるのだ。しかも、被王手側はいずれにせよ投了という選択肢がある。
そうすると、王手側の着手の時点で王手側が反則負けになることが確定していないことになる。
このため、仮に王手側に禁手があったために王手側が反則負けになるのであるという理論を作ろうとすると、
「同一局面4回目の時点で、その間に王手を続けているときに、最後の着手が、相手方の着手によって同一局面4回目に到達することを条件に禁手となる」といった構図を取らざるを得ないことになる。
これ、分かりにくいにもほどがある。

4-3 禁手の系譜に含めようとするとどうなるか、まとめ

以上からすると、連続王手の千日手を他の反則と同様の禁手の系譜に入れる場合には、以下のような規定で書く必要が出てくる。

千日手が成立した際、千日手に至る手順中において一方が全ての着手で王手をしていた場合には、4回目の同一局面が連続王手をする側の着手による場合には当該着手を、4回目の同一局面が被連続王手側の着手による場合には、直前の着手について被連続王手側が4回目の同一局面を成立させる着手をすることを条件として、それぞれ禁手とする。

このように考えると、禁手の系譜に取り入れることがいかに無理筋かが分かる
原因は、そのほかの禁手に該当する着手はそれぞれ、着手単体の性質に着目して決定されているのに対して、
連続王手の千日手は、千日手という同一局面の複数回出現という一定の幅を持った手順・局面の性質に着目して決定されているという違いを無視していることにある。
このような性質の違いが有るにもかかわらず、同一の理論で性格づけることで、上述のような極めて煩雑な理論を構築することになる。

4-4 性質に着目して考える

では、連続王手の千日手を「千日手という同一局面の複数回出現という一定の幅を持った手順・局面の性質に着目」して考えるとどうなるか。
これは反則が幅を持った手順・局面に依存して成立するという特徴を持っていることに他ならないのであり、
個々の着手そのものの性質に意味が無いということが言えるのである。
そうすると、確かに個々の着手の合法性を問題にすることは可能ではあるものの、
一番シンプルなのは、個々の着手はそれぞれ合法であり、同一局面の出現という手順的な特徴のみを捉えて反則と考えることになる。
つまり、千日手を成立させる着手自体は、反則とは一切関係が無い合法な着手であり、
ただ、千日手が成立した際の、その手順全体を通して反則となると考えることになる。
この場合、規約としては以下のように記述されることになる。

千日手が成立した際、千日手に至る一連の手順中において一方が王手による着手を続けていた場合、王手を続けていた側が反則負けとなる

非常にシンプルな構造であり、この記述は将棋連盟の対局規定のそれとほぼ同様のものになる。
将棋連盟が理論的な下地に基づいてこのような規約を作成したのかは不明ではあるものの、
連盟の対局規定はこちらの理論に基づいて解釈するのが素直であることが分かる。

5.まとめ

以上の検討を基に考えると、連続王手の千日手を禁手扱いにすることは、
千日手の持つ性質を無視した理論構成をする必要が出てくることが分かる。
したがって、理論上はスマートではなく、私個人としては賛同しがたい。
そして、連続王手の千日手は、千日手になる着手そのものが合法とする後者の考え方を採用する限り、
連続王手の千日手が成立する着手が残っている局面は、合法手が存在する以上「詰み」の定義には当たらないと考えるのが
理論上素直な解釈である。
これは、最後の審判の理論の
・千日手が成立すると、攻方は連続王手をしていることになって反則負けになる
・したがって禁手として歩合による逆王手は取れない
・歩合を取れなければ他に王手を外す手段がないため攻方玉は詰みである
の部分と対立するものであり、最後の審判を不完全だと判断する根拠となる。

むろん、最後の審判を完全だと考えるための理論も上述の通り存在するが、
私自身はその理論は極めて不自然なものだと考えている。
後は、本記述を読んだ方々の意見・議論を通して考えていけたら、幸いである。
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