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詰将棋ルール論:初期局面の謎

いつまでも懲りずにルールについて考察しております。
最近自分の中でHOTな話題は「手順単位で比較して本手順を確定させる」という一部の人の本手順決定ルールの捉え方が、理論的にあり得るのか、という問題です。
当初、個々の着手に着目して本手順を確定させる手法と結論において違いはないだろう、というのが私の見立てでしたが、「手順単位」の考え方を自分なりに掘り下げていくと、どうにも解釈に困る、自分には説明できない状況が生まれる可能性がありそうだ、という疑問点が出てきています。
これについては今後、記事のネタにする予定ではあります。少しだけ小出しに書きますと、「着手決定準則の非対称性」に起因する問題がありそうだ、と考えています。
まぁ、記事にする段階で、変同余詰のときと同じく、解決策が見つかるかもしれません。


さて、今回記事にしようと思うのは「初期局面」だ。
詰将棋というものは「初期局面」があって「攻めの手」があって「受けの手」があって「詰上り」がある。
詰将棋の表現も、厳密に考えたわけではないが、たぶんこの4つの要素に分類可能だ。
ルールについて考察をするに当たっても、完全ではないにしろ、この4つに分類して考察していくことで、より抜けの少ない議論ができるのではないかと思っている。
というわけで、「初期局面」について考えてみようと思う。


1.詰将棋には「初期局面」に関するルール論として議論になりうる論点の存在意義


「初期局面」に関する論点は基本的に詰将棋の本質とはおよそかかわりがないと考えて良いように思う。
議論はできるが、結論に異論がないため、基本的には議論のための論点だ。
例えば、

・盤上の駒、攻方の持ち駒以外の駒は、どこにあるのか
・使用可能な駒は本将棋で用いられる1セットが上限なのか

といった議論は、結論において全く違いはない。
残りの駒はどこにあるという議論をしても、玉方が使えることには変わりないし、本将棋の駒1セットが上限であることも異論はない。
しかし、「残りの駒は全て玉方の持駒として駒台に置かれている」と考えると、2枚目の玉が玉方の持駒に存在することになる。
すると、「玉合」が何故許されないのか、という点を精査する必要が出てくる、というように、同じ結論であっても、説明のしかたがいろいろあることをうかがわせることになる。
何しろ、「玉合」は王手放置の禁手だ、という説明をしたとしても、そもそも玉が持駒にあるという状況が指将棋で想定されていないので、果たして王手放置の禁手にそれが含まれるのかが分からない。
私は2枚目の玉は、盤上になければ「駒箱の中」にあると思っている。そうすると、今度は「他の駒を駒箱にしまうこと」が可能か、という論点が生まれる。玉方持駒指定だ。

このように結論が決まっている議論でも、その説明の仕方は様々だ。基本的にどう考えても構わないといえるが、これらを探求すると、詰将棋の根底に流れる理屈の一端が見えるかもしれないし、ものすごくくだらない、存在意義のないものということもできるかもしれない。
まぁ、興味を持ったことを探求する姿それ自体は、その興味の方向性は違えど詰将棋といえる気がします。そういう意味では、こういうことを考える人がいてもいいだろうとは思います。


では、既に示した論点以外に何があるだろうか。ひとまずここでは「初期局面として許されない配置」について探っていく。


2.初期局面として許されない配置


初期局面として許されない配置、というのはある意味で重大な問題である。というのも、それをやってしまえば、詰将棋として認められなくなってしまうのだから、創作するにあたって、どこからどこまでが許されないのか、というのは作品として認められるための一要素となるからだ。
とはいえ、詰将棋のルールを調べてみると、驚くほど初期局面に関する記述は見つけられない。
そうなると、一般的に認知されているルールとは別の角度から切り込んでいく必要がある。

そこで、重要な指針として注目することができるのが

・将棋の局面として合法的な着手によって実現可能な局面は初期局面として禁止されることはない

という事実である。
このことから分かるのは、

・初期局面として禁止される局面は、将棋の局面として合法的な着手によって実現不可能な局面である

ということである。間違ってはならないのは、不可能局面の全てが禁止局面とは限らないということであるが、不可能局面を整理し検討することで、禁止初期局面の実体を調べることができるといえる。
そこで、不可能局面を分類してみることが考えられる。ここでは、とりあえず「論理的不可能局面」と「禁手不可能局面」という分類を考えてみることにする。
「論理的不可能局面」とは、当該局面に到達するような手順が論理的に存在し得ない場合を指す。例えば駒取りが直前に存在していなければその局面に到達することが不可能なのに、持駒がない、といったそういう場面などである。
「禁手不可能局面」とは、文字通り初期局面に禁手でのみ実現される状況が存在する場合を指す。行き所のない駒が配置されていたり、1つの筋に歩が2枚以上並んでいたり、最初から王手がかかっていたり、がこれにあたる。禁手はこのほかに打ち歩詰めが存在するが、初期局面で歩の王手で詰みと判定できる局面であったとしても、それは王手放置の禁手も同時に実現されているため、そこで取り扱えばよい。連続王手の千日手はここでは「禁手」という概念で説明しないことにする。


3.論理的不可能局面


論理的不可能局面で代表的な作品の一つといえば「盤上のファンタジア」1番ではないだろうか。
盤上のファンタジア1番は先手番と仮定すると、局面を遡って考えていくと、先手に持駒がなければその局面に到達し得ないということを意識的に作図されているものである。
当該作品は双玉作品であり、上記のように遡ることができないことを理由に後手番であると考えることが可能である、という主張を含んだ作品とされている。
もちろん、持駒概念のないプロブレムであればその方法は実際にあるとしても、詰将棋でその考え方を採用すると、駒余り不完全になってしまうので成立しているとは言い難い。
実際に「詰将棋として」考えた場合には、盤上のファンタジア1番は先手番からの1手詰めと扱って良いだろうと思われる。

このほかに論理的不可能局面の最頻出なものといえば、単玉詰将棋において「もう一つの玉」を置く余地がない作品が挙げられるだろう。煙詰や長編作の多くはこの問題を抱えていると思われる。
また、煙詰や長編作以外でも、どこに攻方玉を置いても、逆王手の筋があったりして、作意が成立しなくなる作品もあるだろう。これらの作品群は基本的に「論理的不可能局面」であるということができるはずである。

このような作品群について、初期局面が不適であるという主張は聞いたことがない。
実際に、論理的不可能局面については、基本的には初期局面として禁止されていないと考えることができるだろう。


4.禁手不可能局面

禁手不可能局面は既に指摘したように、二歩、行き所のない駒、王手放置の状態の局面を考えることができる。
この禁手不可能局面は一般的に詰将棋の初期局面としては見ることはない。
それ故、これら局面は禁止初期局面に当たるということはできそうだ。※1
しかし、問題なのは、論理的不可能局面での検討したとおり、将棋の局面として発生し得ないから禁止されるという論理は使用できないことが言える。
つまり、二歩禁にしろ、行き所のない駒にしろ、王手放置にしろ、将棋の「着手」として指された場合にはその時点で反則負けとなるため局面として発生し得ないが、初期局面として二歩などがあったとしても、「着手」がされたわけではないのだから、将棋のルールの禁手がそのまま適用されるわけではないのだ。
むしろ、論理的不可能局面のように、その局面に到達しえるかどうかというのを問題としないのであれば、禁手不可能局面も、禁手に当たる着手があったと主張することは困難なはずである。

となると、禁手不可能局面は何故ダメなのだろうか。
行き所のない駒を配置することができたら、作品の幅は広がるだろう。攻方は王手をしなければならない以上、初期局面で玉方に王手がかかっていたとしても、更に王手をかけるしかできない。問題はなさそうに見える。
言ってしまえば、初期局面で詰んでいるが、王手義務のために重ねて王手をすると、玉方は逃げ出せる、という形の詰将棋だって、作れるという話になるはずだ。

そうすると、創作時のルールとして、二歩配置、行き所のない駒配置、玉方王に王手がかかっている配置が禁止されるというルールがそこに存在している、と考えるほかはなさそうに思える。
局面が存在し得ないから禁止されているのではなく、ルール上禁止されているから禁止されているのだ、というなんともしまらない議論ではあるが、そうなるのであろう。


5.分類上謎な初期局面


上記二つの分類のどちらに当てはまるのかが謎な初期局面としては、「双玉問題における攻方玉に三重以上の王手がかかっている初期局面」がある。
二重王手、いわゆる両王手は局面としては普通に存在しうる。しかし、三重以上の王手をかけるには、必ず一回は「王手放置」を経由しなければ論理的に成立しない。
つまり局面そのものに禁手状況があるのではなく、論理的に遡及して考えると禁手状況が存在したと考えなければならない、という状況である。
局面を遡ることができるかどうかということを、初期局面において議論上の根拠となり得ない、という論理の流れからすると、この遡って初めて禁手状況と分かる局面の扱いは、よく分からないといわざるを得ない。


6.結論

初期局面に禁止された局面があるかどうか、という点については、基本的には、創作のルールとして「二歩配置、行き所のない駒配置、玉方王に王手がかかっている配置」が禁止されている、というのが実体、と見てよいだろうと考えられる。

なんともありきたりだが、初期局面においてそれ以前の「着手」という概念を考えていない、という点はルール論を考察する上では一つの収穫だというべきだ、と思うのである。




※1禁手不可能局面が詰将棋の初期局面として禁止されているかどうかについては議論がありうるという指摘もある。確かに、この初期局面での詰将棋作品はほとんど世の中に出回ってはいないが、そのような初期局面の詰将棋を作った場合に否定されるとは限らないようだ。
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comment

[59]

誰も指摘しないようなので…。
×盤上のパラダイス1番
○盤上のファンタジア1番
盤上のパラダイスはそもそも作品集ではありませんし。

[60] Re: タイトルなし

> 誰も指摘しないようなので…。
> ×盤上のパラダイス1番
> ○盤上のファンタジア1番
> 盤上のパラダイスはそもそも作品集ではありませんし。

おっと、手元に作品集があるのに間違えてしまいましたorz
指摘ありがとうございます。修正しておきます。

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