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日記的空間

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3D小説「bell」書籍発売!

私が夏休みに参加していたイベント3D小説の書籍が発売されました。

http://www.amazon.co.jp/bell-%E6%B2%B3%E9%87%8E-%E8%A3%95/dp/4040702484/

1部は7月24日から8月24日という形で行われていましたが、今回書籍になったのは8月1日までですが、ネット上で公開されていたものだけではなく、ごくわずかではありますが、新情報があります。
それを読みながら思ったことを書いてみようかなぁと思うわけです。


そういうわけでこの記事はガッツリネタばれします、悪しからず。



1.ソルという存在について

書籍ではソルとは「Story of Ladders」の略であることが公開された。
Ladderとははしごを意味するとのことだが、ソルは読者のことを指し示す言葉であり、はしごとはいったい何なのか、という意味で新しい疑問を生み出すといえよう。
これについては新しく公開された「メリーの視点」の中に面白い記述がある。

 ソル。世界を照らす光たち。ほころび伝線する物語。虚構と現実、ふたつを繋ぐ梯子となりえる物語。2本のラインを結ぶ論理。

平行世界説とか、そういう話がしばしば語られていますが、素直に読めば、虚構と現実が混ざり合っていると見たほうがよさそうに思います。
ソルは虚構と現実、どちらの世界にも干渉し得る存在として存在しているのではないだろうか。
じゃぁ、この「虚構」と「現実」っていわゆる並行世界なんじゃないの?って疑問もある気がします。
この辺は「平行世界」ってのがどういうのを想定しているのかにもよるんではないでしょうか、というところに留めておきましょう。

2.アルベルトって誰だよ

書籍情報が公開されたとき、協力という中に「アルベルト」という名前が出てきておりました。
で、こいつ誰だってのが当時話題になったのですが、確かに書籍では登場している人物でした。
書籍130ページの新情報「メリーの視点」でした。
バスの中に乗るメリーに声をかけたのがアルベルトでした。
このことからわかるように、バスが特定人のプレゼントに由来するものであるならば、これはおそらく久瀬君の能力ではないのでしょう。
同じ能力をメリーが持っているというのであれば話は別ですが、おそらく特定の人の未来を見せることのできる能力者が誰かいると考えたほうが素直です。
ここでアルベルトという名前は少し引っかかります。
というのも、アルベルトといえば「アルベルト・アインシュタイン」、つまり相対性理論が真っ先に思い浮かぶからです。
映写機のリュミエール、活版印刷のグーテンベルク、コンピュータ開発もしたノイマン、月に降り立ったニール、ミステリーの大家ドイル、ドイルはちょっと毛色が違う気がしますが、それぞれのプレゼントは偉人の業績とかなり関係しています。
アインシュタインの名前を冠したプレゼントが存在しているのだとしたら、真っ先に思い浮かぶのが相対性理論であり、未来を見ることができるという話になれば、それは「双子のパラドックス」そのものではありませんか!
つまり、光速に近い速度で移動すると、周りよりも時間の進みが遅くなり、外の世界が加速して見えるというあのはなし、それがバスの中で窓の外に未来が見えるという光景にそっくりです。
このように考えると、アルベルトの能力によってバスから未来視ができるという説があるんではないかと思うわけです。
ここで面白いと思うのは、可能性を含めて考えると、久瀬君と少年ロケット、アルベルト本人を除いて、バスに乗っている人物は全員双子の可能性があります(新情報のバスに乗ってる少女、およびメリーはみさきやちえりの可能性あり)。
アルベルトの未来視的なプレゼントが存在した場合、適用対象が双子のパラドックスに則って、双子にしか使えないという制約があるのかもしれませんね。
そうすると、疑問、久瀬君ってもしや双子!?

3.メリーの視点その1

上記で言及しましたが、130ページのメリーの視点には3人の登場人物が出てきています。
メリー、メリーに声をかけた女性アルベルト、最後尾に座る少女、です。
メリーが書き換えたいのは過去だといっているが、ソルが書き換えるのは未来とのこと。確かに、バスの窓から見た未来を書き換え続けたのが第1部であった。
その意味ではソルが書き換えるのは未来である。そしてメリーは過去を書き換えたいようである。
ここで見ている世界が久瀬君が乗ったバスと同様に、未来が見えているのであれば、久瀬君を第一に助けたいわけでして、そのためには過去を変える必要があると認識している模様ですね。
このバスが見せる映像は「彼が元に戻る」景色。

「私はただ、彼を救いたいだけなの」
 センセイガ救おうとしない彼を。
 私か、少女のどちらかが、そう言った。

不思議なことにこのシーンだけ、どちらの発言なのかがわかりません。
ここで最後尾の少女が誰なのかがわかりませんが、少女はセンセイが救われるべきだと定義したとされており、みさきの可能性が高いと思われます。
こういうのを見ますと、みさきも久瀬君を救いたいと思っているように見えます。

個人的な妄想レベルの話ではありますが、3D小説って「虚構」のラインが二つあるんじゃないかと思うのです。
ソルは基本的に「現実」にいるわけですが、この「現実」から干渉できる「虚構」、すなわち小説、物語が二重に重なっているのではないかという妄想です。
みさきは最初からちえりと双子で、みさきがふたつに分離して「虚構」がふたつに分かれてしまった。もう片方の虚構ではメリーと呼ばれるようになった、では少々無理があるでしょうか。
確かに、メリーが先生の側にいけるのではないかとも思える描写があるのはこの妄想の矛盾点です。そういう意味ではちょっと無理筋かもしれません。

13.彼女はいつ生まれたのか
50.なぜ2つの過去が存在するのか?
71.彼女たちはなぜ2人なのか?

このあたりの説明はつくかもしれないなぁ、とは思います。

4.メリーの視点その2

この文章で気になるのは「彼のイコン」というところでしょうね。
メリーは久瀬君に執着していますから、彼とは久瀬君でしょう。
そう考えると、やはり久瀬君はプレゼントを持ってると考えたほうが自然です。
ただ、今のところ、久瀬君がどのようなプレゼントをいつ手に入れたのかという点についてはまったく不明です。
12年前のもうひとつのプレゼントは「悪魔のプレゼント」と呼ばれていました。
https://twitter.com/telnarn/status/505698408573566976
での考察にも書きましたが、悪魔のプレゼントはおそらくみさきの能力です。
メリーいわく、悪魔のプレゼントの力は「再会」ということですが、すなわち久瀬君の能力とは別だといえます。
12年前はもうひとつ「ドイルの書き置き」が生み出され、14年前が「ニールの足跡」。
ノイマンの世界、リュミエールの光景、グーテンベルクの描写は何年前に発生したのかは不明です。
センセイが失踪直前に生み出したプレゼントは「ベルの物語」との名前になっているといいます。
「ベルの物語」はセンセイがセンセイのために作ったといいますが、ネーミングの法則からすると、「ベル」というコードネームを持つものが能力を有しているということになるでしょう。
ノイマンの予想ではセンセイはソルにプレイヤーの場所を譲ったとなっていることからしても、このベルの物語があって初めてソルがゲームに参加できることになりそうである。
そうすると、ベル君とソルたち、ベル君と久瀬君を繋げる能力と考えるとよさそうである。「虚構」と「現実」を繋げ、製作者=センセイではルールにあがらえずに書き換えることができなかった物語を、書き換えようとしている、と考えるのが素直に思える。

そういえばリュミエールはメリーに対して、昔はなついていたといっている。
これ、メリー=みさき説で考えると、みさきが久瀬君へのプレゼントを考えていた、あの話がぴったりはまりそうですね。
ノイマンが「メリーの味方」であり「みさきの敵になるつもりがない」というのは、あるいはそういうところを――交じり合ったふたつの虚構、その二人が同一人物であることを――気づいているのかもしれませんね。
まぁ、ふたつの虚構というのは私の妄想なんで、混ざり合い、同一人物が二人同時に出てくるかもしれないみたいなカオス世界を想定しなきゃならんところが矛盾というか、変なところなんですけどね。
この部分の説明がつくってところではあります。

5.メリーの視点その3

そういえば、メリーがバスに乗ってる日付って運行予定表にある日付なんですね。
最後の8月1日にも「あの少女」が乗っています。

彼女の事情は、おおよそ聞いている。――それはもちろん、私の事情でもあるわけだけれども。

不思議な記述です。個人的に同一人物説を妄想するのも、このあたりの筋が通りそうだというところが大きい。
製作者=センセイは「虚構」を書き換える力は持っているようにも聞こえる。
観覧車のくだりがそうである。
しかし、雪いわく、ルールはどうしても絶対的で、製作者も逆らうことができない。
メリーの発言が納得いかないために、ルールはリテイクを指示したようである。そのために物語は続きを失って閉じてしまおうとしている。

ここで考えてみよう。製作者いわく、この物語は「絶望の中にいる少女を救う物語」なのである。
今、このときにおいて、「絶望の中にいる少女」とは誰なのか。

 その声は悲痛だった。殻に閉じこもり、無理に不幸な未来を信じこもうとしているようでだった。

バスの中にいる少女は、ソルが未来を変えていく現実を見ながらも、なおそれを信じようとしていないみたいである。
心を閉ざし、自分を不幸の中に閉じ込めようとする――それはまるで1部の最後のほうで、自らを悪魔と認めて、空に閉じ込めようとしたみさきそのものである。
リテイクの指示が入った。雪はルールは感情的で不条理だと言う。
メリーの台詞に納得がいかないから、という。メリーがみさきと同一人物であるとするならば、あるいはこれが説明つくかもしれない。

メリーは未来を書き換えることに否定的だ。いや、彼女が変えたいのは過去なのであり、未来を書き換えることを否定しているというよりも意味がないと考えているというほうが正しいか。
いずれにせよ、メリーの視点からすれば、ソルという存在はそれほど重要な存在ではないはずである。
彼女もまた、何度となく見た「彼が元に戻る」光景を変えたいと思っているはずであり、バスが未来を指し示しているのであれば、未来を変えたら何とかなる気がしなくもないが、そうでもないのであろう。
久瀬君が1部作中でナイフで刺されたところから超人的な回復をしていたり、意識を取り戻せなくなるかもしれない状況から復活したりというのは、プレゼントの効果があるからかもしれない。
元に戻るとはプレゼントが壊れて、あるいは植物状態とは言わないまでにしても、12年前の事故の影響からの重大な後遺症が復活するといったそういう話なのかもしれない。
だとすれば、未来を変えるだけでは足りないのだというメリーの考え方が説明つく。
となれば、メリーもその意味で「絶望の中の少女」である。そして、彼女もまたソルを信じる意味を持たない者である。
にもかかわらず、メリーは少女に対して、「ソルを信じつつある」という趣旨の発言をしたのである。
かたくなに未来に展望を認めない少女からすれば、自身の分身であるメリーがそのような話を始めることは到底許容できないというストーリーはあるいは説得的かもしれない。
「お前とてソルを信じてるわけではないだろう。私に勝手な希望を植えつけるな」と。

要するにルール=みさき説でもある。
少女は、製作者のことをうそつきだから嫌いという。
センセイが救おうとするのは少女である。あるいはメリーでもある。
そしてメリーは彼を救いたい。メリーの視点その1の最後はあるいは少女の台詞かもしれない。
メリーはただ英雄を信仰している。みさきも自分のせいで久瀬君が傷ついたと思っている節がある。
雪いわく「この物語の結末は、今のところふたつしか用意されていない。あの子が血を流すのか、それとも君が血を流すのか、だ。」
つまり、救おうとしている相手がラスボスなのではないだろうか。

「制作者の敵って、誰ですか?」
「その質問には答えられない」
「どうして?」
「純粋ではなくなってしまうから」
「なにが?」
「光が。あるいは、それをみる瞳が」


「これはとても感情的な問題なんだよ。数式みたいに理性的な話じゃないんだ。当然のように矛盾をはらんでいる。取り除きようのない問題だ。矛盾を呑み込んでそれでも先に進める、より大きな光が必要だ」


製作者がルールに逆らえないのは、それが救おうとしている対象であるからだ。
これが私の妄想である。
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