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詰将棋ルール論:変同余詰について(その1)

最近にわかにツイッター上で変同手順中に余詰というべき順が存在する場合に、それを不完全とするべきかという議論が白熱している。
これについて、ルール論の観点から考察してみようと思います。

1.将棋の思考法について

変同余詰の議論をする場合、当然ながら、詰将棋のルールにおいて変同とは何か、余詰とは何かという議論を避けて通れない。
そして、変同にしろ余詰にしろ、これらは詰将棋の正解手順である「本手順※1」を決定するルールと切っても切れないものである。
そこで、詰将棋におけるルールの根本原理から考察を始めようと思う。
これについて、まずは、将棋と詰将棋の違いを見るために、将棋でみられる思考を確認したいと思います。

将棋においては、当然対戦相手がいるわけですから、対戦相手と自分の二人の人間が思考することになります。
この時、将棋においてなされる思考には以下の可能性が考えられることになります。

・自分の視点から自分の指し手を考える
・自分の視点から相手の指し手を考える
・相手の視点から自分の指し手を考える
・相手の視点から相手の指し手を考える

この4パターンが存在しうるということができるというわけではありますが、将棋においては対戦相手が存在するということが詰将棋とは異なる特徴的な部分であるということができます。
つまり、対戦相手が独自の判断で着手を決定してくれるために、「相手の視点から考える」という部分は必要なものではありません。
基本的には「自分の視点から」指し手を考えれば事足りるのであり、また将棋においては両者ともに最善を目指している以上、そのように思考したところで、それほど大きなズレを生じるとは考えにくいといえるのです。

2.詰将棋における思考法

これに対して、詰将棋は、攻方(ないし詰方)と受方(ないし玉方)という二つのプレイヤーの立場を一人の人間が担当することになる。
これはつまり、

・攻方から見た受方の指し手を考える
・攻方から見た攻方の指し手を考える
・受方から見た攻方の指し手を考える
・受方から見た受方の指し手を考える

という4パターンの思考を一人の人間が行わなければならないことを意味する。
この意味において、詰将棋は指将棋と比較して思考が複雑なのである。
しかも、攻方と受方は詰将棋の思考において互いに目標としているところが異なっているという違いさえ存在する。
それゆえに、ルールを理解する上では、この思考の違いを明確にしておく必要があり、このことが詰将棋のルールのわかりにくさを生み出している原因の一つになっているともいえるだろう。

3.詰将棋の指し手決定の準則について

詰将棋のルールの本論に入ろう。詰将棋のルールには攻方の指し手をどのように決めるかというルールと受方の指し手をどのように決めるかというルールの二つを基本原理とするものである。
この二つの原理を理解するときに役に立つのが、それぞれの立場において何を目標としているかということである。
これについては以下のように整理することができると考えられる。

・攻方はとにかく相手玉を詰ませばいい

・受方は可能な限り逃げる

この二つの考え方から、2.において検討した詰将棋の思考法は以下のような整理になる。

・攻方から見た受方の指し手を考える
 →全ての応手を想定する

・攻方から見た攻方の指し手を考える
 →詰むように王手をかける

・受方から見た攻方の指し手を考える
 →最善の手順で詰ましにくることを想定する

・受方から見た受方の指し手を考える
 →最善の手順で逃げる

このような二つの立場、計4種類の考慮要素を勘案して指し手を決定するのが詰将棋のルールなのである。
なお、上記の「最善の攻め方」と「最善の応手」とは以下のルールによって決定することを想定している。

最善の攻め方
・最短手数で詰める
・同手数の詰め方がある場合には、駒が余るように詰める

最善の応手
・最長手数になるように逃げる
・同手数の逃げ方がある場合には、攻方の駒が余らないように逃げる

これを見るとわかるように、一般にしばしば詰将棋のルールとして説明される「攻方最短・受方最長」というルールは受方の着手決定にかかわるルールであり、詰将棋のルールの中の半分も説明していないのである。
なお、本稿においては詰将棋は駒が余らない、いわば「駒余りの禁」という準則を着手決定のルールの中に組み込んでいる。それが「駒が余るように詰める」という部分と「駒が余らないように逃げる」という部分である。
このように、「駒余りの禁」を応手決定ルールの準則内に含めて考える理論を本稿では「応手最善説」と呼称することにする※2
なお、応手決定準則については、無駄合をしないというルールが付加されることになり、これが理論上どのような位置づけになるかは議論がありうるところである。
この点は、本論とは直接かかわらないため、ここではルールの存在に触れるにとどめる。理論的な分類に関しては当ブログで議論したことがあるので参照されたい。






※1用語法の問題であるが、本稿においてはルール上の正解手順を「本手順」という用語を用いる。一般に「作意手順」という用語が、この本手順と同様に用いられることがあるが、「作意手順」という用語は「作者の意図した手順」という意味で用いられることもあり、用語法として分離すべきである。詰将棋パラダイス誌のホームページでは作意手順という用語を作者の意図した手順という意味で用いており、「作意手順がルール上の正解手順とは違う可能性」も認めている。これを前提に考えると、作意手順と本手順を同一視する用語法は避けるべきである。詰将棋創作において、作意手順は本手順と一致させるべきであるし、完全作であれば原則として一致するはずであるため、両用語の混同が発生しているのだと思われる。
※2応手最善説とは異なり、駒余りの禁を応手決定ルールの準則内に含めるべきではないという主張をする人もいる(詰将棋おもちゃ箱のTETSU規約案など)。この主張に基づく場合には、応手の決定ルールは手数を基準にするのみであり、持ち駒の有無は問題とならない。本稿ではこの立場を応手純粋最長説と呼称することにする。また、このほかにも戦前ころまでの詰将棋において通用していた妙手説というものもある。これは、攻方の着手に妙手がある応手を本手順とするものである。この妙手というものを決める基準が事実上存在しないことも相まって、妙手説においては結局のところ作者が妙手と考えた手順が本手順、すなわち作意手順が本手順となる。無双や図巧に代表される歴史的な詰将棋は妙手説によって立つことになる点は注意すべきである。
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