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詰将棋のルール:詰みの定義と透かし詰めと無駄合についての覚書

久しぶりにブログを更新します。
またしても詰将棋関連の話題でございます。

詰将棋のルールってどうにもこうにも本気で考えだすとわからないことが結構あったりします。
今回の記事では、「透かし詰め」と呼ばれる詰将棋の詰め上がりを中心に、詰将棋のルールにかかわる論理構造を整理してという試みです。
どの考え方が正しいとか、そういう部分をできるだけ捨象して、論理的にあり得る枠組みを可能な限り網羅しようと思います。
そして、その枠組みの中から個人的な意見を書く、という形で展開する予定です。
以上のような方針で書きますので、まず第一に理論枠組みの整理、次に私的な意見の展開という形になります。
私の文章は、長文かつ分かりにくいことが多いので、読んでいただく際には注意してもらえますと幸いです。

1.まず今回中心として検討する「透かし詰め」について、必要な限りでの詰将棋のルールの原則を考えていきます。

一般的に詰将棋のルールは「詰将棋固有のルール」というもののほか、「詰将棋としての特別な規定のない限り指将棋のルールを準用する」ことになっていると思います。
たとえば、それぞれの駒の動きなどは指将棋のそれと変わりません。
そして、「詰み」の定義について、詰将棋としての特別の規定を私は見たことがないので、おそらく存在しないのだろうと思われます。
そうすると、原則論として詰将棋においての「詰み」も、指将棋のそれに準ずることになるということになります。
そこで、「詰み」の定義をチェックしますと、日本将棋連盟 「将棋ガイドブック 15、王手と詰み」には以下のように記述されているとWikipediaに載っていますので、これが詰みの定義となります。

一方の側が玉以外の駒の利きを敵玉の存在するマス目に合わせるような指し手、つまり玉に取りをかけることを“王手”といい、かけた側から見れば“王手をかける”という。王手をかけられた側が、その王手を次の一手で解除することが不可能になった状態、つまり次にどのように応接しても玉を取られてしまうことが防げない状態を“詰み”といい、玉側からみれば“詰まされた”という。

この中でもとりわけ、「王手を次の一手で解除することが不可能になった状態」との語句が今回の記事では重要である。


もう一つ確認しておくのが、詰将棋のルールの中でも根本的なルールといえる「玉方応手の選択に関する準則」です。
全詰連でかつて議論された規約案においては、以下のような規定となっていると、前にあった無駄合議論で教えていただいたので、掲載しておきます。

「次の各項目でこの順に上位にある応手を優位とします」(川崎規約案)


2.今回の記事で問題となる「透かし詰め」とは

「透かし詰め」とは一般に、飛車、角行あるいは香車といった、離れた場所に効きを持つ駒によって、離れた場所から王手をかけられた状態で「詰み」となる場面を指します。
この時、飛び駒(離れた効きを持つ駒)と玉将との間に何らかの駒を打つことができるとすると、王手を外すことができることになります。
しかし、その王手となる効きを遮る手が一般に「無駄合」と呼ばれる合駒になる場合で、それ以外の王手を外す手段が存在しないとき、これを「透かし詰め」として詰んでいると評価されています。
この辺りは詰将棋を知ってる方なら知っていることだとは思いますが、言葉だけの説明ではよくわからない場合は「無駄合@wiki」の「例外無駄合X型」あたりを参照するといいでしょう。

とりもなおさず、「透かし詰め」は詰将棋において「詰み」と考えられているということは一つの事実です。
しかしながら、「詰み」の定義には「王手を次の一手で解除することが不可能」な場合を指すとしており、「透かし詰め」は一見してこの定義に該当しないように見えます。
そのため、「透かし詰め」との関係で「詰み」とは何なのかを検討しなおすことが必要となるのです。


3.フェアリー詰将棋では「透かし詰め」は詰みではない

私はフェアリー詰将棋についてはほとんど知識はなく、またあまり興味を持っている分野でもないので、間違ったことを書いてしまうかもしれませんが、ご容赦ください。
フェアリー詰将棋の、とりわけ「ばか詰め」と呼ばれる分野においては一般に「透かし詰め」による詰め上がりは「詰み」としては認められていないと聞いています。
これは、「ばか詰め」という分野では玉方が最短で詰まされに行くというルールから、手数稼ぎとしての意味合いを持つ「無駄合」という概念が考えられないことに起因すると思います。
詰将棋においては「無駄合」という概念が存在しており、「透かし詰め」が発生する際には、その場面での合駒は「無駄合」であることから、詰んでいるという評価があります。
しかし、この「無駄合」概念がないところでは「透かし詰め」を認めることは理論的に困難です。
「詰み」の定義を指将棋のそれと同一のものであるとする限りでは仕方のないことで、おそらくフェアリーではそのような議論の結果として「透かし詰め」を認めないという結論に至ったのでしょう。


4.詰将棋での「透かし詰め」の扱いについて:理論的枠組み論

さて、ここからは本題のうちの前段である、理論的枠組みを整理していきましょう。
前提として確認した、前述の議論をもう一度まとめますと、

(1)王手を外す手が存在しないときが「詰み」である、という定義
(2)「透かし詰め」は詰将棋では「詰み」である、と評価されている
(3)「透かし詰め」は「無駄合」によって王手を外すことができる

という状態になっているということになります。
したがって、王手を外すことができるのに「詰み」と評価することは、定義と矛盾するのではないか、という問題がここにはあることがわかります。

もちろん、ここにおいて「透かし詰めは定義から言って詰みではない。だから詰将棋でもそれを認めるべきではない」という考え方があり得ます。これをA説と分類しましょう。
これに対して、B説として「詰将棋において一般に詰みとして認められてきている以上、透かし詰めも詰みと認めるべきである」という考え方もあり得ることになります。これをB説としましょう。

A説を採用する場合、合駒によって王手を外すことができることを重視することになるわけで、「無駄合」をどのように扱うかという点の議論はおよそ無意味です。
というのも、理論的には玉方が選択しうる指し手であると考えなければ、論理整合しないからです。
なお、A説は「透かし詰めが詰みとして認められている」という前提条件と矛盾しますが、透かし詰めを詰みとして認めていること自体を間違っていると評価する考え方であって、理論枠組みとして考える分には論理的にあり得ることを確認ください。
前提条件として確認した事実が、必ずしも絶対に正しいものであるとは限らないため、理論上あり得る枠組みについてはすべて取り上げたうえで評価するという形をとるという意味があります。

一方で、B説については、これはさらに細分化して議論することができます。

まず、「詰み定義との関係で分ける」方法があります。
これは、これまでに見てきたように詰みの定義と矛盾しているように見える透かし詰めについて、実際に「矛盾していることを認める構成」と「実は矛盾していないと考える構成」の二つがあり得るということです。


「矛盾していることを認める構成」については二つの理論構成が考えられると思います。
一つ目は、「詰みの定義について詰将棋独自のルールが実は存在しており、指将棋における詰みの定義は詰将棋において妥当しない」という考え方です。
これをB1説としておきましょう。
このB1説は「詰みの定義について詰将棋独自のものを聞いたことがない」という私の知見と矛盾しますが、あり得る枠組みです。
二つ目は「透かし詰めについて詰将棋独自の例外的詰み規定が存在する」と考える枠組みです。
これをB2説としておきましょう。

この二つの説の違いがよくわからない方がいるかもしれませんので、述べておきますと、B1説では詰みの定義についての原則論のみで話が片付くのに対して、B2説は原則論に対する例外という位置づけになります。
つまり、B1説では「すべての詰みという状態について妥当する詰将棋独自の詰みの定義が存在する」のに対してB2説は「一般的には指将棋の詰みの定義を原則とするが、一定の場合において詰将棋独自の例外を設ける」という考え方です。
原則を詰将棋独自のルールに置くか、指将棋のルールに置くかという違いであることになります。


さて、B1、B2説は「詰みの定義との関係で矛盾していることを認める説」でした。
次に考えるのは「実は詰みの定義宿直関係で矛盾していない」という構造をとる考え方です。
この考え方ととるということは、「透かし詰めの状態において、玉方は王手を外すことができない」と考えることになります。
ちょっと理解に苦しむかもしれませんが、論理的には王手を外す手として考えられている「無駄合」をどのように理解するかという点がポイントとなります。
すなわち、透かし詰めとの関係で「無駄合」は「玉方の許された指し手ではない」という構成をとるということです。
分かりやすく言いますと、「無駄合」とは一種の反則手類似のものと考えて、玉方は選んではならないという風に考えるのです。
ただし、これについても二つの考え方があり得ると思います。
「一般に無駄合は反則手類似として禁じ手と同様に扱う」という考え方と、「原則は禁じ手ではないが、透かし詰めとなる場面に限定して禁じ手と同様に扱う」という考え方です。
前者をB3説、後者をB4説と分類しましょう。
これは、いわば指将棋における合法手のルールについて、詰将棋独自の例外ルールを設けるという格好になります。
要するに、最初に規約案を確認していますが、「無駄合」を詰将棋の独自のルールとして「応手として認めない」ことで、ルール上の整合性をとる枠組みになります。
ただし、B3説は、「無駄合」について一般的に応手性を否定しているのに対して、B4説は「詰み」の定義と抵触する限りにおいて「無駄合」の応手性を否定するという違いがあることになります。

なお、A説およびB1、B2説はこの「無駄合の応手性」については、当然肯定する見解であるということができます。なぜなら無駄合の応手性を否定するのであれば、A説のように透かし詰めを否定したり、B1、B2説のように独自の詰みの定義を設ける意味が全くなく、論理一貫性を失うからです。


5.各理論枠組みの論理的検討

次に行うのは、各枠組みについて、どのような評価があり得るか、どういう議論があり得るかという話です。
まだ、私自身の意見が出てくるわけではありませんので間違えないでいただきますようお願いします。

まず、A説について。これはフェアリー詰将棋のばか詰め同様の理論構成をとる枠組みであることになりますが、一般に「透かし詰め」は認められているとするのであれば、事実との整合性の問題が出てくることになります。
将来において詰将棋の一般的な認識が変化する可能性はありますが、現段階においては理論としてきれいであるというだけで、「詰将棋のルール」として認められるかどうかという点では難のある理論であるといえるでしょう。

次に、B1説です。
B1説は詰みの定義について詰将棋独自の物を設定するというものですので、透かし詰めを認めるという部分を含めて詰みの定義をきっちり作成する必要があります。
どのような定義にするのかによってこの説の評価が分かれてくることになるでしょう。

B2説は、B1説とは違い、詰みの定義の原則は指将棋のそれに置きます。例外的に透かし詰めのための詰みの規定を用意するだけなので、詰みの定義を大きく変える必要もなく、それほど規定づくりは難しくはないでしょう。
結果としては、現状の詰将棋と大きな祖語をもたらさないと考えられるので、有力な説であるといえると思います。

B3説は「詰み」の定義に触れることなく、「無駄合」という詰将棋独自の概念において処理を試みる説であり、詰将棋のルールの複雑さを軽減することが可能な構成であるといえると思います。
もちろん、この説で議論をする場合は、無駄合の議論との連関が必要であるため、透かし詰めの議論に無駄合の複雑な議論を持ち込むことになります。この辺をどのように評価するかというのが論点となるでしょう。

B4説は、透かし詰めの場面のみ無駄合の応手性を否定するという、かなり技巧的な理論構成です。
こうなると、無駄合の応手性を否定する場面を透かし詰めの局面に限定する理由付けが必要となりますが、一方でB3説とは異なり無駄合の複雑な議論を回避して透かし詰めの議論を確定させるというメリットがあるということができるでしょう。


「無駄合」との関係性において考えますと、B3説を除いてたすべての説は、原則として無駄合の応手性を肯定する理論枠組みをとるということになります。
B4説は透かし詰めの場面で例外的に無駄合の応手性を否定し、残りの3説は詰みの定義の問題として処理することになるというのが、無駄合という概念との関係における整理となります。
詰みの定義との関係での整理は、すでに行っていますが、「詰みと認めない(A説)」「詰みの定義の問題として処理して、詰みとして認める(B1、B2説)」「無駄合の問題として処理し、詰みとして認める(B4説)」となります。

枠組みとしてはこんな感じになると思いますが、A説はフェアリーのように新しい分野として考える分にはともかく、「詰将棋のルール」として認めるのは難しいと考えられます。
B1説も、「詰みの定義を詰将棋独自のものにする」という点が、現状の詰将棋を考える上で、実際の詰将棋と整合的かという点で難がありそうです。むろん、私が知らないだけで、詰将棋には独自の詰みのルールがあるというのであれば、この説が有力となるのですが、そうでない場合にはやはりナンセンスとなる公算が高いでしょう。
B4説は理論としてあり得るとはいえ、ちょっと複雑に過ぎます。透かし詰めが詰んでいる理由を「例外的に無駄合を応手として認めない結果、有効な指し手がなくなるため」と説明することになります。
無駄合か同課の判断をしたうえで、応手性が否定されるかどうかの判断をするという、無駄合に関する判断過程が分かりにくいものとなるので、かなり厳しい理論となるでしょう。
そうすると、B2説ないしB3説が有力な議論となると考えられます。ただし、詰将棋独自の詰みの定義があるとした場合はB1説一択となります。


6.詰将棋おもちゃ箱における考え方の考察

詰将棋おもちゃ箱というサイトでは詰将棋界の情報をネット上ではかなり多く収集しており、そこの管理人もその意味で詰将棋に関する情報を多く発信しています。
それ以外のサイトでは情報が不足しており、透かし詰めをどのように考えているか、という点を考察することが困難ですが、このサイトの管理人については、それら発信された多くの情報を総合することで、その考え方を考察することが可能です。
そこで、代表的なサイトとして詰将棋おもちゃ箱を取り上げるのであって、他意はありません。
こういう考え方をする人がいるという具体例として、考察するだけです。

詰将棋おもちゃ箱の管理人は無駄合に関して以下のようなコメントをしています。

無駄合は応手最長の基本ルールの例外規定であり、目的は頻繁に登場してかつ避けようがない無駄合をしないことにすることで、創作の幅を広げることにある。(http://toybox.tea-nifty.com/memo/2013/05/post-bd75.html)

ここで応手最長ルールの例外規定という表現の解釈が問題となります。
応手最長ルールというものは玉方応手の選択に関する準則です。
ここにおける例外というのが、上述の「応手性の否定」という意味でのものなのか、「応手性を肯定したうえで、変化長手数についての例外」という意味なのかという点が解釈の余地を残す点であるといえるのです。
ただ、この点はhttp://6716.teacup.com/tetsu/bbs/1353において

・現在は綿貫規約で認められていた変化長手数をNGとするのが流れなので、
 それと逆行する方向にルール(不文律、慣習)を変えることになる

との発言がありますので、詰将棋おもちゃ箱では「無駄合の応手性を否定する枠組みは採用していない」と考えるのが論理整合的でしょう。
そうすると、B4説を採用している可能性は否定できませんが、おそらくB2説で考えているものだと推測できることになるわけです(もちろん、B1説の可能性も否定できませんが)。
http://www.ne.jp/asahi/tetsu/toybox/shogi.htm#shogi6において、「王手をはずせなくなった局面を「詰み」という。」としているので、おそらくB1説ではありませんし、無駄合において例外的な応手性の否定を採用しているような議論はないので、B2説の可能性が一番高いですね。


7.私の考え方

私の考え方では、無駄合の応手性自体を疑問視してきています。
過去の無駄合議論でも話題にしましたが、無駄合は応手ではないのではないかと考えていることからしますと、B3説を支持することになります。
無駄合の議論において、無駄合の応手性を否定するという枠組みを採る場合には、詰みの定義との関係で整合的になりますので、ルールの複雑さを回避できると考えています。
ただし、無駄合の応手性の認否にあたっての議論が残りますので、暫定的に透かし詰めの議論を回避するという意味ではB2説もあり得るかと思います。
無駄合の応手性が肯定されるとB3説も崩壊することになりますので、その意味ではB2説が無難ということもできると思います。
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