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日記的空間

主に、私見のために使用するスペースです。 所々、日記的に気ままに書いたりと、アトランダムな使用をしていきます。

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将棋不正疑惑問題における第三者委員会の結論は本当に妥当なのか

将棋の不正疑惑問題において第三者委員会は
1.不正行為がなかったこと
2.将棋連盟の為した処分はやむをえなかったこと
を発表した。この2つめである「処分はやむをえなかった」というということは妥当かどうかを考えたい。

第三者委員会による結論

第三者委員会は出場停止処分については
・現時点から見た結果論ではなく、処分当時における本件出場停止処分の必要性・緊急性を見る必要がある
として、具体的には以下の理由を述べている

1.処分当時、ソフト指し疑惑が強く存在していたこと
2.このような状況下で竜王戦に出場させれば、大きな混乱を招くことは必至であり、連盟の権威や信頼が侵害されることが容易に想像されたこと
3.処分当時は竜王戦を3日後に控えており、他にとりうる現実的な選択肢がほぼなかった
4.休場の申し出を受けて主催紙との調整を行っていたため、休場を撤回した時点では後戻りできなかった
5.竜王戦開催期間、調査に要する期間において疑惑が払拭されていない間に他棋戦の出場を認めると連盟の自浄作用が疑われること

といった理由を挙げて、処分を行ったことおよびその期間が3ヶ月であったこと、ならびに他棋戦を含めてすべての対局の停止を行ったことは緊急やむをえなかったとしている。

結論の妥当性

では、これらの理由が処分当時における必要性・緊急性があったのかを確認していこう。

1.処分当時、ソフト指し疑惑が強く存在していたこと
第三者委員会の調査では結果的には不正行為はなかったが、処分当時はそれがある可能性が十分に高いと思われる根拠があった、ということになる。果たしてそうだろうか?
第三者委員会では、ソフト指しが存在していなかったことについて、処分当時の連盟の判断に関係があるであろうと思われる理由は、以下の4つを理由を挙げている。

1.7月26日の久保戦においては、不正の根拠とされた30分以上の離席がそもそもなかった
2.8月26日・9月8日の丸山戦においては、連盟理事による監視があったが不審な行為が認められなかった
3.丸山棋士は疑いを抱かなかった
4.不正の根拠のひとつとされていた一致率に信用性がないことがわかった

当時、連盟側がソフト指しを疑った理由は「不自然な離席」と「一致率」であった。
しかしながら、そもそも「不自然な離席」が存在しないのであれば、これを理由に処分の必要性・緊急性を認めてはならない。
不正を疑うに足りる十分な根拠が根も葉もない思い込みで良いのであれば、処分し放題である。当時はそう思ったのだから、処分は許される、というのはどう見ても不合理である。

では「一致率」はどうであろうか?
この点について、「当時は一致率が不正を疑う根拠として重要なものであると考えられていた」ことを理由に、当時疑惑が強く推認されたとしている。
しかしながら、これもやはりおかしいといわざるを得ない。
というのも、当時の段階で、ソフトの指し手というのは読む時間や局面において揺れ動くこと自体は、これまでの電王戦や叡王戦、タイトル戦の中継におけるソフトの評価値や候補手を見ている中でわかるはずのことであるからだ。
実際に、過去に何十局と中継されたそれらにおいてしばしば表示された読み筋は時間とともに変化することは知られていた。
当時、仮に「時間をかけても指し手は必ずしも収斂しない」ことがわかっていなかったとしても、使用するソフト、検討する時間、検討するPCによってそれぞれ結果が異なりうることは当時としてもわかることだったといわざるを得ない。
加えて、疑惑の4局のうち、2局については監視していたことがわかっている。そこで不審な行動が認められなかったとするならば、一致率が高い対局は残りの2局しか疑うことができない。
現在のソフトが極めて高い水準にあることを考えると、対局において、変化の余地が少ない場面で、高い棋力を持つ人間が、正しく指すことができれば、一致率が上がることは容易に予想できることであり、
それが2局、近い期間内にあったことをもってして、それによって強い疑いが生まれるかといえば否としかいえない。
たまたま会心の将棋を指すとそれだけで疑ってよいことになるのであるから、当然ながら極端に連続して続いたときに初めて疑惑になるというべきなのである。

以上の検討をすると「一致率」に関しても、当時の状況から考えても、やはり根拠になり得ないというべきである。
であるならば、「処分当時、ソフト指し疑惑が強く存在していた」というのは否定されることになる。

大きな混乱を招き、連盟の権威信用は失墜したのか

上述のように、そもそも「強い疑い」はなかったといわざるを得ない。
このような場合において、混乱を招いたりしただろうか。
連盟は当時、何らかの理由で週刊誌報道が出ることをキャッチしていたという。
それが「疑惑の4局」だということもおそらく知っていたはずだ。では、それが週刊誌で報道されたときに大きな混乱をもたらすだろうか。
まず最初の1局である久保戦は長時間の離席が存在しなかった。そして、丸山戦は理事が監視していた。
この二つの事実があれば、そもそも週刊誌の報道に対して「事実無根である」と毅然と対応できたはずである。
加えて、竜王戦は金属探知機の導入を決め、電子機器の持ち込みはできないようになっており、不正はありえなかった。
仮に、久保戦での離席について、動画の確認を怠ったという致命的なミスを許容するとしても、理事が監視していた挑戦者決定戦第2局と第3局は疑いようもないはずだ。
ならば、残りの2局で何らかの報道が出たとしても、棋士が十分に実力を発揮すれば一致率が高くなることも十分に考えられるとして、意に介する必要はなかった。
当時の状況からしても、「監視した2局でも同様に一致率が高くなるのであれば、ミスなく実力を発揮しただけだと考えられる」で良いわけだ。
混乱は招かないし、連盟の権威信用は失墜するとは到底考えられない。

他にとりうる手段はなかったのか

以上のように見ると、そもそも疑う根拠は当時の状況から考えてもないわけであり、週刊誌の報道があったとしても特に混乱をきたさないと考えられるのであるからには、他にとりうる手段がないというのはありえない。
なんにせよ、監視していて不審な点を見つけられていないにもかかわらず、週刊誌で決定的な証拠が出てくるのであれば、週刊誌の取材力以前に、これはもう理事の能力の問題だ。

主催紙との調整の問題

これもよくよく考えるとおかしい話である。というのも、休場届が出ていない段階で、調整を行っていたということになるからだ。
本来であれば、「届けが出されたときに最終決定する」事を条件に交渉に入らねばならない案件であり、届けを提出する期限を設けていたのであるから、主催紙に対しても、その期日を提示するのが筋である。
にもかかわらず、撤回されたときにはすでに主催紙との交渉が進んでいたという。これが、処分の必要性・緊急性を認める理由になるというのは到底理解できないことだといわざるを得ない。

自浄作用が疑われかねないのか

最後に期間についても、調査に必要な期間を算定している。しかしながら、そもそも連盟は当初「これ以上の調査はしない」と言っていたのである。
調査するつもりは処分当時なかったのだ。なのに、調査期間の必要性から3ヶ月を妥当としている。
調査するつもりがないのだから、調査期間は考慮してはならない話だ。そうすると、そもそも3ヶ月という処分期間の妥当性も認められないと言うべきである。



以上のように検討していくと、第三者委員会が処分を緊急やむをえなかったとした理由の合理性は極めて疑わしい。
この意味で、三浦九段の代理人弁護士の「連盟に寄り添った結論」と言うのは正しいと考えられる。
そもそも、第三者委員会も「全体のために被った不利益に対しては補償してバランスをとるべき」としているにもかかわらず、A級の残りの対局を不戦にするという事実上の出場停止処分を継続を行い、A級の地位を保証するといいつつ順位は最下位という休場張り出しと同様の不利益な処分を発表したのはもはや擁護の余地はないわけです。
公平な状況を、と言っているにもかかわらず、王位戦は不戦、朝日杯は抽選から除外しました、と発表することは、処分期間内に発生した不利益はこれです、と言う意味しか持たないわけで、これも第三者委員会の提言をまったく理解していないわけです。
休場明けに予定されていたイベントの出演も理事の側から「混乱を避けるために回避してほしい」とお願いをして三浦九段は「参加したい」と希望したことも明らかになった。
にもかかわらず、仕事をキャンセルしている。事実上の処分継続だ。
第三者委員会の結論の妥当性も疑問だが、それを上回る連盟の行動のおかしさとしかいえない。
これでははらわた煮えくり返るのもさもありなんと言うところで、まとまりのないですが、記事を閉めましょう。ではでは。
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詰将棋ルール論:最後の審判は完全か

スマホ詰パラで、最後の審判型の理屈を利用した詰将棋が発表された。
これはルールの観点から詰将棋として成立しているのかどうかという点について
かねてより論争のある問題だ。そこでこれについて検討してみようと思う。

最後の審判は以下のような論理構造を持っている。
・玉方歩合による逆王手がされている
・歩合に対する応手は歩を取る以外にない(それ以外に王手を外す手段がない)
・これを取ると千日手が成立する
・千日手が成立すると、攻方は連続王手をしていることになって反則負けになる
・したがって禁手として歩合による逆王手は取れない
・歩合を取れなければ他に王手を外す手段がないため攻方玉は詰みである
・攻方玉が詰みであるならば、玉方歩合は歩を打って玉を詰ます打歩詰になり禁手である
・よって玉方は歩合ができない

一見してなるほど、と思ってしまう内容を持っている。
しかしながら、これを細かく見ていくと、必ずしも正しいとは限らないことが分かってくる。
焦点は「本当に打歩詰に当たるのか」である。

1.打歩詰とは

さて、これを考える場合に最も重要なのは、本当に「打歩詰」なのかである。
であるならば、まず、打歩詰とは何か、ということを考える必要がある。
この点、打歩詰は以下のように要素の分解ができる。

・「歩を打つ」着手であること
・歩を打つ着手によって「詰み」となること

このように分解したとき、「歩を打つ」着手であることについては、本件において疑いようがない。
したがって、「詰み」に当たるかどうかが問題になることは当然の話となる。

2.詰みとは

しかしながら、「詰み」の定義を考え始めると、驚きの事実に突き当たる。
実は、将棋はルールとして「詰み」を明確に定義しているとは言えないのだ。
まぁ、そもそも、将棋の総本山とも言うべき将棋連盟が、将棋のルールを規約化していないのだから当然とも言えるんですけどね。
実は存在するのは「対局規定」のみなのです。
しかも、将棋のルールという観点から考えると、実は「詰み」を定義する必要性が余りないという点も挙げられます。
なぜなら、「投了」と「反則」が規定されていれば、理論上終局条件としての「詰み」はなくても構わないからです。
唯一、将棋のルールとして「詰み」の定義が絶対的に必要なのが「打歩詰」ルールなのです。
そんなこんなで、ある程度自力で「詰み」の定義を考える必要があります。
とはいえ、細かい論点を抜きに言えば、「詰み」は以下の要素で考えて良いといえるでしょう。

・王手がかかっている
・王手を外す手が存在しない

詰将棋の観点から言いますと、この定義ですと「透かし詰」の理論構成が困るというのは、過去に記事にしたことがありますが、
本件においてはその問題点は無視することにしますと、おおむねこれで大丈夫です。
このとき、「王手」の意味についてはそれほど問題はありません。
ポイントは「王手を外す手」の意味合いということになります。

3.王手を外す手と反則

王手を外す手には、将棋において通常指しうる手が含まれることには異論がありません。
となれば、必然的に反則がこれに含まれるか、というのが論点として残ります。
線駒で王手されているが、持ち駒が歩しかない状況での「二歩」。
入玉局面における「行き所のない駒」による王手外し。
そして、王手駒を取ると別の線駒の利きが通る「王手放置」。
これら場合が「王手を外す手としては認められておらず、詰みである」となるのか、「王手を外す手としては認められ、詰みではないが、結局反則か投了しかない」という考え方になるのか、という論点が浮上するのである。
この論点、基本的に結論に影響は出ないが、「詰み」の定義を考える上では必要な論点だ。
とはいえ、この部分、深堀りしてもあんまり本件問題には意味はないので、とりあえず、「禁手は王手を外す手には認められない」という原則があると考えることにしよう。
そこはおおむねそれでいいのだ。

4.連続王手の千日手は禁手に含まれるのか

しかし、禁手を王手を外す手として認めず、したがって禁手以外に王手を外す手が存在しない場合に詰みであると定義したとしても、
連続王手の千日手がその「禁手」の系譜に含まれるのかは別の問題として取り扱わなければならない。
というのも、そのほかの反則を構成する禁手はどれも「着手そのもの」に焦点があるのに対して、連続王手の千日手は、
「同一局面4回」「手順中に一方が王手をし続ける」という局面ないし手順に比重が置かれているからだ。
これは、他の反則には無い特徴であり、この特徴をして同様に扱うことができるかは慎重に検討をする必要がある。
このとき、連続王手の千日手の特徴を調べることは極めて重要である。
既に、連続王手の千日手が「同一局面4回」「手順中に一方が王手をし続ける」という要素を持っていることを確認した。
これによって、連続王手の千日手はどういう特徴が導き出せるか、を考える。

この点について、注目すべきは将棋連盟の対局規定における連続王手の千日手の項目である。
そこには
「開始局面により、連続王手の千日手成立局面が王手をかけた状態と
王手を解除した状態の二つのケースがある。」
という特徴が存在することが自覚的に知られていることが分かる。
連続王手の千日手は王手をしている側によって成立する反則ではないのだ。
まず先に千日手の成立があって、千日手が成立したときに一方が王手を連続していた場合に成立する反則なのである。
このことは、連続王手の千日手を他の反則と同様の禁手の系譜に含めることの理論上の困難さを提示する。
以下では、連続王手の千日手を二つのケースに分けて検討しよう。

4-1 王手をかけた状態で成立する場合

この場合は、王手をかけるその着手そのものが禁手に当たると考えることで済む。
それもそのはずで、王手をかけたその着手によって反則負けが確定するのであるから、
同一局面4回目を成立させる着手が王手であり、かつそれまでの間王手をかけ続けていた場合には、
その着手を禁手と扱うことは理論上それほど難しいことではない。

4-2 王手を解除した状態で成立する場合

一方でこの場合は難しい。というのも、被王手側の着手によって王手側が反則負けになるかどうかの選択権を
握っているからだ。
もちろん、被王手側に有効な着手が一つしかなく、それゆえ王手側の反則が確定している場合もあるだろう。
しかし、当然だが、そうでない場合も十分に存在しえるのだ。しかも、被王手側はいずれにせよ投了という選択肢がある。
そうすると、王手側の着手の時点で王手側が反則負けになることが確定していないことになる。
このため、仮に王手側に禁手があったために王手側が反則負けになるのであるという理論を作ろうとすると、
「同一局面4回目の時点で、その間に王手を続けているときに、最後の着手が、相手方の着手によって同一局面4回目に到達することを条件に禁手となる」といった構図を取らざるを得ないことになる。
これ、分かりにくいにもほどがある。

4-3 禁手の系譜に含めようとするとどうなるか、まとめ

以上からすると、連続王手の千日手を他の反則と同様の禁手の系譜に入れる場合には、以下のような規定で書く必要が出てくる。

千日手が成立した際、千日手に至る手順中において一方が全ての着手で王手をしていた場合には、4回目の同一局面が連続王手をする側の着手による場合には当該着手を、4回目の同一局面が被連続王手側の着手による場合には、直前の着手について被連続王手側が4回目の同一局面を成立させる着手をすることを条件として、それぞれ禁手とする。

このように考えると、禁手の系譜に取り入れることがいかに無理筋かが分かる
原因は、そのほかの禁手に該当する着手はそれぞれ、着手単体の性質に着目して決定されているのに対して、
連続王手の千日手は、千日手という同一局面の複数回出現という一定の幅を持った手順・局面の性質に着目して決定されているという違いを無視していることにある。
このような性質の違いが有るにもかかわらず、同一の理論で性格づけることで、上述のような極めて煩雑な理論を構築することになる。

4-4 性質に着目して考える

では、連続王手の千日手を「千日手という同一局面の複数回出現という一定の幅を持った手順・局面の性質に着目」して考えるとどうなるか。
これは反則が幅を持った手順・局面に依存して成立するという特徴を持っていることに他ならないのであり、
個々の着手そのものの性質に意味が無いということが言えるのである。
そうすると、確かに個々の着手の合法性を問題にすることは可能ではあるものの、
一番シンプルなのは、個々の着手はそれぞれ合法であり、同一局面の出現という手順的な特徴のみを捉えて反則と考えることになる。
つまり、千日手を成立させる着手自体は、反則とは一切関係が無い合法な着手であり、
ただ、千日手が成立した際の、その手順全体を通して反則となると考えることになる。
この場合、規約としては以下のように記述されることになる。

千日手が成立した際、千日手に至る一連の手順中において一方が王手による着手を続けていた場合、王手を続けていた側が反則負けとなる

非常にシンプルな構造であり、この記述は将棋連盟の対局規定のそれとほぼ同様のものになる。
将棋連盟が理論的な下地に基づいてこのような規約を作成したのかは不明ではあるものの、
連盟の対局規定はこちらの理論に基づいて解釈するのが素直であることが分かる。

5.まとめ

以上の検討を基に考えると、連続王手の千日手を禁手扱いにすることは、
千日手の持つ性質を無視した理論構成をする必要が出てくることが分かる。
したがって、理論上はスマートではなく、私個人としては賛同しがたい。
そして、連続王手の千日手は、千日手になる着手そのものが合法とする後者の考え方を採用する限り、
連続王手の千日手が成立する着手が残っている局面は、合法手が存在する以上「詰み」の定義には当たらないと考えるのが
理論上素直な解釈である。
これは、最後の審判の理論の
・千日手が成立すると、攻方は連続王手をしていることになって反則負けになる
・したがって禁手として歩合による逆王手は取れない
・歩合を取れなければ他に王手を外す手段がないため攻方玉は詰みである
の部分と対立するものであり、最後の審判を不完全だと判断する根拠となる。

むろん、最後の審判を完全だと考えるための理論も上述の通り存在するが、
私自身はその理論は極めて不自然なものだと考えている。
後は、本記述を読んだ方々の意見・議論を通して考えていけたら、幸いである。

詰将棋ルール論:手順ベースの着手決定論ってどうやるの?

詰将棋の着手決定に関するルールについて
「まずすべての可能な手順を並べ、比較して最善の手順を残す」
という考え方を述べる方が居る。

これについて考察していこうとおもう。
この考え方の特徴は「着手決定は手順比較で決まるもの」というところだろう。
すなわち、「個々の着手には着目しない」点が重要だ。
個々の着手に着目して判断をしているのであれば、それは「手順本位」というその発想に反するであろう。
ではそのような、「比較して最善」を決定するルールはどうやってくみ上げることができるか、これを以下の図で考えてみよう。

rule.png

割というまでもない詰将棋。著作権もへったくれもないような、とてもありふれた図です。
この図について「すべての可能な手順」を考えるのは止めましょう。
攻め方が適当な場所に持ち駒を打つ手に対して玉方が適当な持ち駒を打つ手があるなど、
考え始めると1万通りはあっという間に突破してしまいます。
余りにも数が多すぎるので、とりあえず、「攻方は王手をし、玉方は王手を外す」という条件を入れて考えてみることにします。
すると分かるのが

それでも選択肢が多すぎることですね。
たとえば、12と、同玉、24桂、13玉、12桂成、14玉、13成桂、15玉、~~、19玉、18成桂、29玉、~~、89玉、88成桂、99玉、98金
迄、みたいな手順も含まれることになります。
こんなもん、当然間違った手順なのですが、これを「比較して最善の手順を残す」というやり方でどうやって排除するのか、
これが問題になります。

しかしながら、これが非常に難しい。
王手する手段がなくなり、加えて詰んでもいない手順は、「詰んでいない」という条件で除外することができます。
しかし、何らかの理由で詰んでしまっている手順を除外する条件を記述することは容易ではないのです。
たとえば、上述した手順の場合、12桂成に対して同玉とすれば詰まないから間違っているのだ、という話を持ってきてしまいますと、
もはやそれは「手順を並べて比較した」とはいえなくて、「ある応手に着目して正誤判定をしている」ことになってしまい、
「比較して最善の手順を残す」という手法ではなくなってしまいます。
ではどうすればいいのか。「手数が長い方を選ぶ」としてしまいますと、攻方玉方双方が間違えた結果手数が伸びているような手順が残ってしまい、最善手順が排除されてしまいます。
そうすると少なくとも「手数で比較」は、そうやって手数が伸びてしまっている手順を排除した後に行う必要があります。

ここで、私から見て手詰まりが発生してしまっています。
攻め方は王手をし、玉方は王手を外し、詰んでいる、というところまでは手順を限定することはできますが、
その先に「比較して最善の手順を残す」という思想を具体化する理論が全く分からない。
個々の着手に着目することなく、双方が間違えた末に詰んでしまう手順を排除する方法が思いつかないのだ。

逆に言えば、この「まずすべての可能な手順を並べ、比較して最善の手順を残す」という考え方は、
この点を説明しなければ、成立しない考え方であるということが言えるでしょうね。

著作権と詰将棋

1.著作権とは何か
1-1 著作権法の目的
著作権とは何かという問題について、著作権法で何ができて、何ができないか。
ここを第一に押さえることなく、漠然と「著作権は~~」という話をしても間違ってしまうことがある。
詰将棋と著作権について考えるときにも、まず第一に著作権とは何か、という問題を知っておく必要がある。
著作権法は第一条にその目的を掲げている。

第一条  この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

著作権法の目的の中で最も中心に語られるのは、この第1条にかかがられたものの中での「文化の発展」というワードである。
著作権法は「文化の発展」のために存在しているのであり、著作権によって文化はむしろ守られるというのが法律の建前です。
このことは、もしかすると、イメージに反するのかもしれません。しかし、歴史的に見て、多くの文化がその時代の権力者の保護を受けて発展したという事実を考えると、文化の発展には一定の保護が必要であることがわかります。
現在の法制度の中においては、文化を保護する機能として著作権法があるのです。

1-2 著作物と著作者

著作権とは著作物について成立する権利である。
基本的には著作物を創作した者(=著作者)にその権利が帰属する。
この著作権と一言に言っても、著作権法には何ができるのか、細かく規定されている。
「公表権」「同一性保持権」「氏名表示権」「複製権」「上演権」「演奏権」「公衆送信権」「口述権」「展示権」「頒布権」「譲渡権」「貸与権」「翻訳権」「翻案権」と、数多くの条文によって記述されています。
つまり、このように法律で決められた権利だけが著作権として認められているのであり、著作権というものを考える場合には、何ができるのか、というところも含めて考える必要があります。
これら権利は「支分権」と呼ばれていますが、これら「支分権」は大きく分けると2つの種類に分けられる。

・著作者人格権:著作者のみに認められ譲渡することができない
・著作権:基本的に著作者に帰属するが、譲渡することができる

まぁ、細かい権利の内容などは必要な場面で調べることとして、著作権のこの性質について押さえておきましょう。

1-3 著作物とは

著作権は『著作物』について認められる権利である、というのは既に書きました。
このことから大切なのは、「著作物とは何か」ということになります。
何が著作物になって、何が著作物にならないのか、これの区別をすることなく、著作権を語ることはできないのです。
著作権法ではこのように定義されています。

第二条
 一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

法的な問題としては、この定義は以下のように分解されて整理されるのが通常です。

1.「思想又は感情」を対象としていること
2.思想又は感情を「表現したもの」であること
3.思想又は感情を「創作的に」表現したものであること
4.「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であること

一見すると著作物というものは狭い範囲でしか成立しないように思われるかもしれませんが、一つ一つ丁寧に法律がどう考えているかを知っていくと、かなり広範囲に認められることがわかってきます。

まず1つ目の「思想又は感情」の意味についてですが、著作権法においてこれは「一定の水準を満たした哲学・心理学の学問的、芸術的なものに限定されるのではなく、広く人間が持つ何らかの『かんがえ・きもち』といったものを指すものと解されているのである」(『著作権法』19頁、2014年、茶園成樹 以下引用文献はこの文献で統一、下線は私が付加)とされています。
このことは逆に言えば、「事実」や「人間が関与していないもの」以外のほとんどのものが含まれてくることになるわけです。

次に「表現したもの」の意味です。
これは外部のものに認識可能な状態になっていることを示します。判例には「即興音楽」についても著作権が認められており、何か物に定着させる必要は必ずしも必要ではないと考えられています。
音楽であれば演奏をすることで認識可能になりますし、文章表現物でも口述によって表現することもできます。このように物に固定する必要は必ずしもないのが一つのポイントになります。

この「表現」については、むしろ「表現とアイデア」と呼ばれる考え方が重要になります。
著作権は「アイデア」が保護されるのではなく、アイデアに基づいてなされた「具体的な表現」が保護されるのです。
例えば、「未来から自分の子孫がロボットを送り込む」という設定そのものが保護されるわけじゃないのです。これに基づいて創作された「ドラえもん」という漫画やアニメが保護されるのです。
未来からロボットがやってくるというような設定の別の作品が作られたとしても、具体的な表現が別物であれば著作権法違反にはならない、ということが重要なポイントになるのです。
あくまでも具体的な表現が著作権で保護されるのです。

3つ目は「創作性」の問題である。
これについては「多くの学説・判例の基本的な考え方としては、創作性を緩やかに捉え、表現者の何らかの個性が表れていれば足りるものと解している」(22頁)とされている。
つまり、この創作性についても、かなり広範囲に認められており、どのような場合に創作性が否定されるのかが重要になるのです。
主に言われているのが「デッドコピー」と「ありふれた表現」と「アイデアと表現の一致」です。
デッドコピーに創作性がないのはおそらく明らかでしょう。
ありふれた表現とは「表現行為の目的・性質上、具体的な表現をしようとすればごく限られた範囲で行わざるを得ず、誰が表現しても多少の差はあっても同じようなものになると思われる場合」(23頁)と説明されます。判例としては「ある刊行物の廃刊の際の挨拶の言葉」に創作性はないとして著作権が否定されたというものがあります。なるほど確かに「これまでご愛読ありがとうございました」という表現にきわめて近い表現がされるものと想像できますし、これと大差ない場合にはありふれており、創造性は否定されるのはわかります。
「アイデアと表現の一致」とはあるアイデアを表現しようとすると、必然的に表現方法が限定されてしまう場合を指します。この場合、「表現を保護するための著作権法」であるにもかかわらず、「アイデアを保護することになる」という問題があるため、著作権が認められないということになります。

4つ目は「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であることですが、これはぶっちゃけ何の意味もないといっても良いレベルのものです。
知的・文化的な精神活動の所産全般を指すとされており、4つの分野に限定されているとは考えられていないためです。
この部分について意味があるのは、文化振興法である著作権と産業振興法である産業財産法(特許、実用新案、商標など)の区別にあります。

1-4 著作権の特徴と効果

これまで見てきたように、著作権が認められるための条件はわかるようでわからない感じがあります。
まぁ、とりあえずこういうものである、という話にしておいて、具体的な場面で再び見ていけばよいと思います。
そういうわけで、今度は著作権の中でも特徴的な部分と、著作権で何ができるかという点を少し触れていきます。

著作権は特許等の産業財産法と決定的に違うのは「無方式主義」というのが採用されている点にあります。
この「無方式主義」とは、著作権の成立のために特に手続が必要ない、というものです。
つまり、著作物が出来上がったその瞬間から権利が発生するのです。
このことは「申請」や「登録」が必要な産業財産法とは大きく違います。では、この無方式主義だとどういうことになるのでしょうか。

まず第一に「調査義務がない」ということが挙げられます。
特許のような場合には、申請登録されるため、特許庁にその情報が全て集約されます。したがって、その情報を調査することが可能であり、調査不足により同じものを作ったりした場合には、特許権侵害となります。
しかし、著作権は無方式主義であるため、調査が不可能な場合があります。著作物が出来上がったその時点から著作権は認められますが、この著作物はどこにも公表されていない場合もあるためです。
このため、偶然の一致のような場合には、それぞれ著作権が認められ、互いに著作権侵害ということにはなりません。

一方で著作物が出来上がった瞬間から認められるため、その保護を受けるための手間はありません。また、そのために手数料を取られるといった心配もありません。

では、著作権が認められるとその効果はどうなるのかというと「支分権」が認められるということになります。
これら「支分権」に認められた行為を権利者以外の人が行えば、それは著作権侵害になるということです。
この場合、大体は民事では「差し止め」と「損害賠償」ができると考えておけば大丈夫です。刑事事件になることもあります。

2.詰将棋は著作物か
2-1 著作権法の定義で考える

詰将棋が著作物かどうかという問題については、まず、これまでに見てきた著作物の定義に当てはまるかどうかを考えていきます。

1.「思想又は感情」を対象としていること
これについては、「広く人間が持つ何らかの『かんがえ・きもち』といったものを指す」わけですから、完全にソフトに任せた自動生成をしている場合を除けば、多くの場合で人の考えが入っているのであり、問題はないといえます。
適当に駒を並べて、コンピューターで検討したら完全であった、というような場合は少々難しい問題ではありますが、幼児の絵などにも著作権は認められるのであり、ここで言う「かんがえ・きもち」という点においては、適当とはいえ「駒の配置を決定する」という作業が入っている点を考慮すれば良いと思います。
つまり、この条件は満たすといえるでしょう。

2.思想又は感情を「表現したもの」であること
アイデアではダメであり、表現する必要があります。
この具体的な表現という点では詰将棋は多くの場合で「図面」として表現されるのであり、これも問題ないと言うことができるでしょう。
「図面」が具体的な表現に当たるのか、「作意」も含まれるのか、「変化紛れ」は含まれるのか、というのは難しい問題ですが、アイデアと表現の違いというものに着目しながら考えていくべきでしょう。
例えば、「連続打診中合」という詰将棋のテーマそれ自体は「アイデア」だということができると思いますが、そのアイデアを具体的に実現した「位置エネルギー」は表現であるといえます。このとき、打診合の性質から、成生の違いや中合の有無と言った変化紛れという部分は、表現と認めることはできるでしょう。
しかし、72角生、63歩合、同角生、54歩合、同角生、といった手順は、「連続打診合」というアイデアとの関係では、きわめて密接に結びついており、このアイデアを実現する限りにおいては似たような手順が出てくることは必然的ともいえます。
作品全体を見れば、アイデアを実現するための選択肢は非常に多くあるかもしれませんが、このように手順の一部のみを切り取るような場合においては、これは表現というよりもアイデアそのものに近づくので、著作物としては認められない、というような判断をすることになるでしょう。
どこまで細かく見ることができるのか、という問題になりますが、このように余り細かく区切って著作権を主張することはできなくなる、と考えられます。
以上をまとめると、「図面、変化紛れなどを総合してみた場合には表現として認められると考えて良い」というところが妥当なラインでしょうか。

3.思想又は感情を「創作的に」表現したものであること
この点も「表現者の何らかの個性が表れていれば足りるもの」とされています。
一般論として、数多く存在する選択肢からどの構図を選び出すかという点で、何らかの作者の個性が表出すると言って良いと思います。よほど選択肢のない場面であり、誰が作っても同じ図面に行き当たるような場合を除けば、創作性も認められるでしょう。

4.「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」であること
知的・文化的な精神活動の所産全般を指すとされているので、特に問題になりません。

以上のように考えると、詰将棋は著作物と認められる可能性は十分に有るということができるわけです。

2-2 判例と詰将棋
それでは、裁判ではどのように扱われているのかを見てみましょう。
と言っても、詰将棋が直接問題となった裁判は現在のところ存在していません。
しかし、参考にできる判例は存在します。パズルの著作権について争われた事例です。
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/767/035767_hanrei.pdf
ここにおいて、裁判所の考え方を拾っていくと以下のような文言が認められます

・「何らかの個性を発揮し得る程度に,いくつかの表現を選択することが可能なものである必要があ」る
・「数学の代数や幾何あるいは物理の問題とその解答に表現される考え方自体は,アイデアであり,これを何らかの個性的な出題形式ないし解説で表現した場合は著作物として保護され得るとしても,数学的ないし物理的問題及び解答に含まれるアイデア自体は著作物として保護されない」
・「パズルにおいても同様であり,数学の代数や幾何あるいは物理のアイデア等を利用した問題と解答であっても,何らかの個性が創作的に表現された問題と解答である場合には,著作物としてこれを保護すべき場合が生じ得る」

そして具体的に争われたパズルについても、このサイトの解説にも有るとおりhttp://d.hatena.ne.jp/redips/20120106/1325864802、例えば天秤パズルについてのアイデアと表現を区別し、パズルのルールに関するアイデアそれ自体は著作物性を否定するものの、具体的なパズルに対しては、著作物として認めている。

これらのことからもわかるように、まず「アイデア」と「表現」は分けて考えなければならず、著作権が認められないのは、パズルのアイデアそのものについての話になる。
詰将棋に還元して言えば、詰将棋を詰将棋たらしめている「ルール」や詰将棋の表現をその特徴から定義付けた「打診中合」や「~~手筋」といった分類はアイデアである。
いわゆる協力詰などのフェアリー詰将棋における「ルールの枠組み」もアイデアであろう。

一方で、これらアイデアを表現するために選択しうる表現は、きわめて多岐にわたる。そうやって具体的に表現された詰将棋は「数学の代数や幾何あるいは物理のアイデア等を利用した問題と解答であっても,何らかの個性が創作的に表現された問題と解答である場合」に当たると言えるだろう。

ただし、ここで注意しなければならないのは、詰将棋に一般論として著作権が認められるとしても、創作性が認められない場合も当然有りうるということだ。頭金の1手詰めなどは典型例で、この場合の創作性は否定されるであろう。

2-3 詰将棋の著作権としてできること
一番押さえておきたいのは著作権でできること、である。
結局のところ、詰将棋が著作物であると認められるとして、それによってどのようなことができるのか、というのを知らなければ、結局その知識は使えないからだ。
ここで登場するのが「支分権」である。
詰将棋においては以下の権利が、主にポイントになるのではないかと思うので解説する。

1.同一性保持権
2.氏名表示権
3.複製権
4.公衆送信権
5.翻案権


1.同一性保持権とは

同一性保持権は、著作者人格権の一つである。つまり著作者本人に帰属し、譲渡することができない権利である。
「その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないもの」とする権利であり、要するに「勝手に変えるんじゃない」と言う事ができる権利である。
詰将棋においては「不要駒が有ったので省略しました」とかそういうことがされた場合に、止めろ!と言える、と考えるといいでしょう。

2.氏名表示権とは

氏名表示権も、著作者人格権の一つであり、譲渡ができない権利です。
そしてその内容は、「著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利」とされています。
名前を出せとも名前を出すなともいえる権利です。あるいは、ペンネームで発表している作品について本名を表示するな、ということもできるでしょう。
一度発表した作品については、作者が特に何か言わない限り発表時の氏名を表示するよう意思表示しているものとする規定があるので、発表時の氏名を使っている分には作者に問い合わせる必要はない、とは言えます。

3.複製権とは

複製権とは、著作権の一つである。つまり譲渡が可能な権利である。
著作権者はその著作物を複製する権利を占有します。したがって、著作物をコピーすることは原則として著作権に違反します。
詰将棋パラダイスや将棋世界等に詰将棋を投稿する場合、詰将棋が紙面に載ることがありますが、これも複製に当たります。
この場合には、作者が紙面に載せることを許諾していると考えるのが通常であり、複製権侵害には当たらないといえるのは当然ですが、紙面に載せる以上の行為については特になんら意思表示をしていないため、これをコピーすれば、やはり複製権侵害になるでしょう。
複製権については、さまざまな例外があり、最も代表的なのは「私的複製」です。「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするとき」にコピーしても良い場合があります。
詰将棋の場合には、家でコピーをとるような場合は問題ないでしょう。

4.公衆送信権とは

公衆送信権も、著作権の一つで、譲渡可能な権利です。
公衆送信という表現は日本語として難しいですが、おおむね問題となる場面はインターネットによる公開と考えていいでしょう。
インターネットで公開する権利も著作権者のものである、ということになります。

5.翻案権とは

翻案権も、著作権の一つで、譲渡可能な権利です。
翻案については、特に法律上は定義されていませんが、判例では以下のように説明されています。
「著作物の翻案(著作権法27条)とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的な表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。」
詰将棋で言うところでは「元となった作品がわかる程度の範囲内において改作する権利」というところでしょうか。
要するに、勝手に人の作品を弄るな、と言う事ができる権利ということになります。

2-4 著作権侵害を考えるときの注意点
著作権は、既に書いたように「無方式主義」が採用されています。
このため、二人の人間が別々に、偶然に全く同じ作品を作り上げた場合には、それぞれについて著作権が成立し、お互いに著作権侵害にはならない、というのが重要なポイントです。
つまり、偶然同一作になった場合には、著作権法という「法律」では何もすることはできないのであり、その部分については、詰将棋界がどのような慣行で動くのか、という問題でしかありません。
つまり、著作権が問題となるのは「偶然の一致ではないと言う事が証明できる場合のみ」ということになります。
詰将棋という性質上、短編もしくは簡素になればなるほど、偶然の衝突は起こりやすくなるため、必然的に法的な問題になることは少ないということができます。
逆に言えば、例えば「ミクロコスモス」と全く同一図が発表された場合、これが「偶然の一致」で起こるとは考えにくく、法的な問題になると言う事ができる、と言えるでしょう。

また、著作権はあくまで「権利」に過ぎないので、権利侵害が現に存在していても、権利者が侵害について何も言わない場合には黙認という形で権利侵害状況を継続しても問題ない場合もある。

2-5 詰将棋界と著作権の問題点
以上の知識を前提に、詰将棋界で日常的に行われていることが、著作権法上どういう問題を起こす可能性があるかを考えて見ましょう。

・詰将棋年報
書籍として一年間に発表された詰将棋を収集して掲載している。詰将棋に著作権が認められることを前提とすると、明白な「複製権侵害」に当たる。
・詰将棋DB
データーベースとしてまとめており、ソフトを持っている人に継続して販売されている。これも明白な「複製権侵害」と言う事ができる。

上記二つの媒体の複製権侵害の問題については、著作権者には「差し止め」や「損害賠償」という手段が存在することが大きな問題で、特に「差し止め」が請求された場合に、「回収しなければならない」ことが非常に大きな問題になりうるというところです。
誰かがそれを実行した瞬間に、膨大なコストがかかるというのが大きな問題であり、損害賠償をしてくれたほうがマシ、というのが実情といえるでしょう。

・ブログ等、ネット上で詰将棋を紹介する行為
これは一般に「複製権」もしくは「公衆送信権」の侵害に当たるでしょう。ただし、著作権法には「引用」する場合には適切な範囲で行うことができる、とされているので、適切な引用である場合には問題となりません。
私が知っている限りでは、同一作・類作指摘ブログは、作品の掲載がメインなので、権利者から要請があった場合には作品掲載を取りやめる必要がある、つまり著作権侵害状態にある、と言う事ができると考えられます。

・他人の作品を改作する行為
これは翻案権侵害に当たります。もちろん、翻案とは「元の作品が何であるかがわかる」ことが条件となっているので、詰将棋の世界で言うところの「もはや新作」に当たるような場合には翻案権侵害には当たりません。
つまり、「改作行為」がそもそも著作権侵害なので、とりわけ「止めてくれ」と表明する人の作品を弄るのは止めましょう。損害賠償請求とかもできますが、それ以前に違法行為なのです。

2-6 著作権の観点から詰将棋界ができること
上記のように、一番の問題は「詰将棋年報」と「詰将棋DB」だと思われます。
誰も文句を言わないから成り立っている、という状態にあるのです。
「権利関係をキッチリしてしまえば返ってトラブルを起こす」という意見も聞きましたが、
法的に見れば、詰将棋の作者が著作権者であって、これら二つについては明白に著作権侵害がなされています。
キッチリと清算をしなければ、返ってトラブルが起きた場合に事態が大きくなるだけではないでしょうか。
過去の作品については、現状は著作者に黙認したままにしてもらうか交渉する以外に法的には道はありません。
しかし、これから発表される作品についてはやりようがあります。
というのも、上記2媒体に掲載される作品の多くは「将棋世界」「詰将棋パラダイス」「スマホ詰将棋パラダイス」の作品であり、
これら媒体への投稿規程の中に「データーベース等への提供」を許諾する旨の規定を置くことで解決することができるためです。
また、これら媒体以外で発表される作品の多くは「プロ棋士」の名義で発表されているため、それら作品については「将棋連盟と交渉窓口を一本化」ができます。
他にもアマチュアが詰将棋を掲載している媒体はありますが、数が少ないため個別対応できるでしょう。
将来のトラブルを防ぐ意味でも「データーベースに登録し、頒布すること」についての許諾を求める投稿規定を置いておくべきです。

他にも、「傑作選等の書籍作成のために使うことの許諾」のような規定を予め設けておけば、将棋世界において詰将棋関連のページのみを集めたコンテンツ『将棋世界詰将棋パック』と呼ばれる企画において、詰将棋サロン入選者への許諾を求める案内は不要である訳である(書籍化等で儲ける場合には別途補償が問題になる可能性はあるが)。
将棋世界の編集部内部の企画会議のみで進められたはずの案件で、これも、投稿規程において「著作権」を意識してこなかったつけだといえる。

また、編集部が、一定程度著作権の行使をすることができるような規定を盛り込んであれば、不正な著作物使用を編集部の権限として差止め等の請求ができるようになる。これは、著作者が著作物の保護に気が回らない場合に、その保護をすることができるというメリットがあるといえる(もちろん著作者が黙認しているような場合に、過剰介入となることもあるので慎重な運営が望ましいことにはなる)。


個人的には、詰将棋界は「過去の作例」へのアクセスは容易になったほうが、その文化の発展に寄与すると思っています。
著作権法は、きちんとその性質を理解して運用すれば、業界の発展を支える助けになる、そういう「道具」なのです。
しかし、この「道具」は基本的には一般的な著作物に網羅的に対応するために規定が設けられているのであり、
業界としては、この「道具」をどのように「カスタマイズ」すべきか、真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

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