admin⇒

日記的空間

主に、私見のために使用するスペースです。 所々、日記的に気ままに書いたりと、アトランダムな使用をしていきます。

 | ~home~ |  next→

新作詰将棋

新作詰将棋を敢えてブログで発表すると言う試みをしたいと思います。
解答の発表は11月ごろにすればいいかなと考えています。

今回の詰将棋について、個人的に思っていることをまず書きます。


・詰将棋には著作権が発生すると私は考えています
詰将棋には著作権が発生する、と言う話は何度かブログ内でもさせていただきました。これに基づいて、今回発表する詰将棋については著作権をしっかり主張していこうと考えています。
そこで、以下の点に留意してほしいと思います。

・著作権侵害にあたる、無断での転載・利用をかたく禁じます
ネット上での利用や書籍等での利用には、法的に認められる引用や私的利用の場合を除き、権利者の許可を取ってください
・氏名表示権について、作者名は 桃燈 としてください
・引用に当たっては、発表場所を ブログ発表 として、本件ブログ名は出さないでください
ブログ名を出さないでほしいのは、他の記事との関係で論争等を巻き起こしたくないためです。


発表する図は以下のようになります。

ragyoku1.png


2例目の5筋裸玉、逆玉座です。成立していれば、歴史的な作になるのではないかと考えます。
現在、コメント欄を承認設定にしてありますので、回答等をいただけるのであれば、コメント欄で大丈夫です。
また、余詰については、個人的に思いつく限り検討していますが、見つかる可能性は否定できません。
そのため、余詰指摘も歓迎です。どうかよろしくお願いします。

※追記
借り猫さんから懸賞用商品を提供していただけることになりました。
解答・コメントを頂けたかたの中から抽選して懸賞を贈りたいと思います。
解答発表は11月ごろとしているので、懸賞対象となる解答・コメントは、10月末日を締め切りにしようと思います。
よろしくお願いします。
スポンサーサイト

Kifu for JSを試してみる

my cubeにて、鈴川さんがブログにkifu for JS を貼り付ける方法を記載している。
そして、鈴川さんは他のところでも同様に動かすことが出来るかどうか試してほしいと言うこともおっしゃっているので、自分でも試してみることにしました。
私は、この鈴川ブログにおけるjQueryのダウンロードを省略して、直接ネット上に公開されているライブラリを読み込む方法にしてみました。
鈴川ブログにおける

<script src="http://makugaeru.web.fc2.com/Kifu-for-JS-master/src/jquery-3.2.1.min.js">

の部分を

<script src="https://ajax.googleapis.com/ajax/libs/jquery/3.2.1/jquery.min.js">

というように書き換えています。これで、jQueryのダウンロードとHPへの設置を省略できます。
ネット上に公開されたライブラリが消えると同時に使えなくなるのが問題点とは言えますが、ちょっとだけ楽が出来るでしょう。



貼り付けた詰将棋は、どこにも公開していないものです。最終3手のところがどうしようもない余詰があって、個人的にはこれくらいいいようにも思いますが、どこにも出せずにお蔵入りしていたので、テストに使うことにしました。

まぁ、このブログはfc2なので、鈴川さんと基本的には同じ環境です。そのため再現可能なことはある意味自然なのですが、FlashやJavaが使えなくなることを考えると、これをうまく使う必要がありそうですね。

詰将棋:中合、捨合、変則合

ツイッター上で、中合とは、捨合とはという話になり、そこで変則合と言う言葉も出てきて、これら言葉の指すものはなんだろうか、と言うことで、いろいろな話を聞けたので、これについて整理してみようと思います。

この話、似たようなことは実は時々されていて、たとえば、書きかけのブログのこのコメント欄で、前に大分盛り上がったと言うことが出来ます。

ここでは、分かりやすくするために、ペイントでこんな図を用意したので張ります。合駒分類

ちなみに、この図における「合駒にヒモがついてない」とは合駒に玉方の利きのある駒が存在しない、即ちルール上とられたら取り返すことが不可能な場合を指します。そうすると玉に隣接している場合は必ず玉の利きが存在するので、ヒモ付きということになりますが、ここでは玉以外のヒモの有無で考えてください。
この図を元に、馬屋原さんが風wikiに書いた分類を見てみますと、以下のようになります。
A=中合
B+D=狭義の捨合
B+C+D=広義の捨合
同じブログのコメント欄に書き込みをしているssさんも中合については「利きがある以上中合ではないでしょう」との表現をしており、中合のコアイメージがAになると言うことだと思います。

これに対して、このような意見もありました。





これは、上図の分け方で言いますと、
A+C=中合
B+D=捨合
という、利きの有無は特に考慮しない考え方です。

利きの有無に着目するか否かという違いは、おそらくですが、その合駒の着手のその瞬間に「取り返すことが出来ない」と一目で分かる、取り返せないところに合駒をするという意外性を重視するか、手順全体を見たときに「(取り返すことができるか否かに関わらず)取り返さない」ことに対する意外性を重視するか、と言う違いでしょうか。
この違いを前提にすると、
A=中合
B=狭義の捨合
B+C+D=広義の捨合
という分類の仕方もありそうだと言えます。
私は書きかけのブログのコメント欄では、取り返す場合でも中合にしてしまえば良い、といった形で意見を出していますが、取り返さないことを前提にするのであれば、イキロン分類で考えていることになりますね。

さて、次に変則合です。これはもともと森田正司さんが使い始めた用語であったという。


ここでの表現を見る限りでは、森田さんの認識は
A+B=捨合
A=中合
B=変則合
であったことが伺える。
しかし、


このツイートから伺えるように、中合と捨合の関係性が明らかに変化していることが分かる。
というのも、森田さんの言うような中合⊂捨合という関係で考えられることはほぼなくなり、馬屋原分類やイキロンの分類、あるいは
A=中合
B=捨合
といった風に、中合と捨合は包含関係ではなく明確な住み分けをした用語に変化していったようだ。
この流れにおいて、変則合という用語は宙に浮いた格好となり、当時を知る人の中でも
中合+捨合=変則合
捨合=変則合
と言った認識の変遷が起きたというのが伺える。そして現在の状況を見渡すと、




というように、そもそも認知されていない段階に来ているようだ。
そして、この用語に対しては、




というように、言葉が持つ印象が、元来その用語を用いた人の意図に合わない状況を生んでいると言うのがはっきり分かる。私自身も、


のように、元来の意味とは全く違うイメージを持っていた。
結局のところ「変則」という表現が時代に合わなくなってきているのだろうか。変則とは、普通ではないということで、普通という基準をどこに置くか、と言うことになる。この意味で、とられたら取り返すのが合駒における普通である、と考えたら、変則合=中合+捨合といった等式は成り立つであろう。しかし、


このツイートにも現れているように、もはや、取り返さないこと自体が、詰将棋において特殊性を失い、変則として考えることが合わなくなってきている、と言うことになりそうだ。
これら一連の経緯をみると、「変則合」という用語は歴史的役割を終えている、と言っていいかもしれない。
少なくとも、今ではその言葉が持つイメージと元来の用法がずれてきており、分かりにくくなったのは間違いない。
結局のところ、用語とは伝えることに意味があるのであって、そのことを考えると、分かりにくくなってしまった用語は利用しないようにするのがよさそうだ。
中合や捨合についてはいろいろと考え方が分かれていると言うのはわかります。伝えると言う点において、この違いを意識した上で、どの意味で使っているか分かるように表現することが必要、と言うことになるでしょう。


追記
新しいツイートによって資料となる発言をされた方がいたので、掲載します。


村山さんは
中合=A+C+α(ヒモ付きかどうか、取り返すかどうかで区別した書き方になっておらず、このあたりの認識が不明)
捨合=変則合=B
という形のようである。

著作権と詰将棋:法律と法律以外と

過去に二回、著作権と詰将棋著作権の制限についてブログを書いてきました。
今回は、これに続いて、そもそも法律って何なのか、法律さえちゃんと理解していればそれでいいのか、という視点から考えていこうと思います。

1.法律とは

この法律とは、と言うのは難しい問題ですが、基本的には、社会のルールのうち、国家がその権力を持って定める規範であると言うことが出来ます。
この規範の中には、「強行法規」と呼ばれる、ざっくり言ってしまうと「国が何があっても曲げないぞ、国民はこれに絶対に違反しちゃいけません」というものもあれば、「任意規定」という、これもざっくり言えば「みんなが自由にルールを決めてもいいけれど、特にルールを決めないなら、国がこういうルールを決めておくね」というタイプのものもあります。
たとえば、刑法なんかは基本的に強行法規の性格を持っていますね。「うちの村では人の家のものは何でも勝手に持って行っていいんだ」といくら主張しようと、人の家のものを勝手に持ち帰れば窃盗罪になるわけです。

強行法規か任意規定かという問題は、実は法律に明確に規定されているわけではないのです。それゆえ、法律をどのように解釈していくか、と言うのが大切になるのです。
具体例を言いますと、たとえば著作権の支分権の中には「著作者人格権」と分類されるものがありましたが、これは法律には譲渡することが出来ないとの規定がありました。
ではこれが、強行法規になるか任意規定となるか、と言う問題ですが、法律には書かれていません。しかし、「譲渡できない」というルールをわざわざ定めておきながら、「個人が自由にルールを作ってもいいよ、何も取り決めしないときは国がルールを決めるね」というタイプ、即ち任意規定だと考えると、そもそも譲渡禁止とルールを作った意味がなくなります。
なぜなら、個人が自由に決められるならそれは譲渡が可能と言うことに他ならないからです。禁止しているのに可能というのは明らかに矛盾していますね。それゆえ、著作者人格権の譲渡が禁止されていると言うのは、解釈によって強行法規だということが分かると言うことになります。

このように、強行法規か任意規定かと言う問題は、やはり基本的には法律の解釈の世界であり、それは結局法律の世界の論理の中で決定していくことになります。
そのように考えると、法的な問題になったときに、慣習などが考慮されることはあるのは間違いないのですが、それらは慣習によって決まるのではなく、あくまでも法律がどのように解釈されるかによって決まると言う側面があると言うことになります。
それはつまり、法律の世界で決まる問題については法律の解釈が先に来るのであり、それについて、「うちの村ではそうではない」と言うことは、それ自体意味がないと言うことなのです。
それは、法律によって定められた内容が国家権力によって担保されたものであることから逃れられない問題になります。望まなくても、国家権力にその行使を求めたとき、それは法律に従って発動するのです。
もしも、その国家権力の発動が、それによって不都合が起きるのであれば、その法律の中で、出来る限りのことをしておかなくてはならないのです。
先の例に挙げたように「うちの村では人の家のものは勝手に持って行っていい」というのはそのままでは窃盗罪です。日本国内においてはつかまりますが、それならば、無料でものを置いていき、あるいは持っていくことが出来る集積場を作ろう、と言った対策をすることは可能なわけです。

2.著作権法をどのように活用するのか

さて、詰将棋に関しては、これまでも著作権法が関係していることは書いてきましたし、この問題を無視することは不可能だと思います。
ということで、著作権法をカスタマイズする方法を考えましょう。

2-1 著作者人格権をカスタマイズ

著作者人格権は譲渡できない権利として、著作権法上も解釈する上では強行法規であるのは間違いありません。
中でも同一性保持権が大変な問題であり、「少しも手を加えることができない」となると場合によっては問題が起きることはあります。もちろん、著作権の制限と同様、著作者人格権にも制限があり、「やむをえない事由」により手を加えることは出来るのですが、どこまでが「やむをえない」のかはそれこそ法律上の問題であり、軽々に判断してしまうと、国家権力に「それは駄目」と言われてしまう可能性があるわけです。
ではどうするか?この答えは「著作者人格権も権利の一つであり、それを行使するかどうかは個人の自由である」というところにあります。
つまり、「君は著作者人格権を行使しない、そのことを約束しようじゃないか」ということです。譲渡が出来ないなら行使させなければいい、ということですね。
それアリなのかよ、と疑問はあるかもしれません。実際私も、それあり?って思います。このあたりは実は議論がありますが、一応アリということにしておきましょう。「駄目かもしれない」という話は、後半に書きますので、それも併せて読んでいただくといいと思います。

2-2 著作権をカスタマイズ

著作権をカスタマイズするのは著作者人格権に比べると簡単です。
と言うのも、著作権は著作者人格権と違い、譲渡が可能であることが法律上規定されているからです。
ということは、著作権の行使を受けると面倒だと言う話になるのであれば、最初から「著作権頂戴」と言っておけば良いわけです。
「お前は作品を作る、俺は著作権をもらう、約束な!」って約束を交わせばいいわけです。
詰将棋であれば、詰将棋パラダイス、将棋世界、スマホ詰パラといった作品掲載の場において、投稿規程に「著作権を編集部に渡すことを許諾する」という文言を入れたらいいことになります。
注意すべきなのは、「著作権を譲渡する」と言うだけだと、支分権のうち27条と28条が除外されると言うことでしょう。翻訳・翻案権と2次著作物に関する原著作者の権利、という権利はただ単に「著作権を譲渡する」と言うだけでは譲渡されず、具体的に「翻案権を譲渡する権利に含む」など明示する必要があります。

2-3-1 それでいいのか著作権

さて、上記のように、著作者人格権は行使しない約束をし、著作権は譲渡する約束をすれば、著作物について著作者から何か言われることはなくなります。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
と言うのも、著作者人格権を行使しない約束をして、著作権を譲渡すれば、著作者は自分の作品に対して何も言うことが出来なくなってしまいます。
もちろん、それは本人がそれに同意しているからいいではないか、と言うことも言うことは出来ます。法律上はそのような論理でこのようなことが認められている、と言うことになるのです。
しかし、たとえば詰パラが投稿規程にそれを示せば、将棋世界やスマホ詰パラがそういうことを行えば、著作権の譲渡を望まない作家は多くの発表の場を失うことになります。
このことについて、全く考えないわけにはいかないでしょう。

2-3-2 著作者人格権不行使条項について

著作者人格権は譲渡が出来ないと言うことは、それら権利を著作者に残しておかねばならない、と法律が判断したということになる、というのが素直な考え方です。
それを不行使にすること自体が、本人の事由であると言うのが法律上の建前だとしても、それを何らかの約束で予め、将来にわたって縛ることは果たして許されるのでしょうか。
しかし、これが難しい問題で、法律の解釈が定まっているとは言いがたいのが現状です。将来、これは許されないと判断されてしまえば、このテクニックは使えなくなります。許されない可能性も十分に残っていますね。
また、逆に、許される場合には、やはり著作者の保護はされないのだろうか、と言う問題が出てきます。
法律では「公序良俗に反してはならない」とか「権利の濫用は許されない」と言った抽象的一般的な規定があります。そして注目のポイントはまさにここにあると思われるのです。
つまり、仮に著作者人格権不行使条項が認められるとしても、それでもなお、極端に著作者の権利を制限するようなやり方をした場合には、それは「公序良俗違反」や「権利濫用」で認められないと言うことがありうるのです。
そうすると、著作者人格権不行使条項も、仮に使うとしても、決して万能なのではなく、著作者の保護も最低限図られると言うことになるわけです。

2-3-3 著作権譲渡条項について

著作権を譲渡すると言うことは、著作者に著作権が残らないと言うことを意味します。
たとえば複製権を譲渡すれば、作者であっても自分の作品をコピーすることが出来なくなります。
これは何を意味するかと言うと、たとえば詰将棋の場合には、自分の作品集を出すことが出来ない、と言った場合を生む可能性がある、と言うことになるのです。
もちろん、そういう形で著作権を利用する可能性を認めているのが法律なので、そのような利用の仕方をすること自体はなんら問題はありません。
しかし、そのように著作者から著作権を奪ってしまうようなやり方は好ましくない場合もあるでしょう。その場合にはどのようなやり方があるのでしょうか。

一例としては、一定の著作権について利用を許諾する権限を付与すると言ったライセンス条項と言うのが考えられます。
たとえば、詰パラ等の投稿規程に、「好作選等の作品集に掲載する場合に複製を編集部において許諾することを認める」と言った条項を入れると言うような形です。必要な範囲で必要なだけライセンスをすると言うことを考えるというやり方は一つの方法でしょう。

ここで一つ重要なのは、著作権等管理事業法と言う法律が存在していまして、著作権を何らかの形で業として管理する場合には、文化庁に登録が必要になる場合が存在すると言うことです。ライセンス条項を考える(著作権譲渡の場合でも確認しておかなければなりませんが)場合には、この著作権等管理事業法についても注意する必要がある、というのは念頭におく必要があるでしょう。こちらのページでフローチャートを確認すれば一通り大丈夫かどうかの確認は出来るでしょう。

3.法律を守ればそれでいいのか

では、次に法律を守ったら後はどうでもいいのか、と言うことになります。
これは法律上の問題をクリアすれば、国家権力によって強制的にあれこれされるのを防ぐことが出来るので、一安心なのは間違いありません。
「うちの村では人の家から勝手にものを持って帰ってもいい」は窃盗罪になるから許されなくても、「集積場を作ってそこでやり取りすればいい」にすれば法律上の問題にはならない、と言うのはすでに例示しました。
しかし、これまでしてきた著作権の話は、「いかに著作者の持つ法律上の権利を制限し、あるいは権利行使を回避するか」に焦点を絞った対策でした。これは「うちの村のルール」に合わせたやり方ではなく、単に「お前に認められた法律上の権利を無効化するぜ」というある種暴力的なやり方であることは間違いありません。
法律はこれを認めているのです。そうすると問題は、暴力的なやり方で相手の権利を無効化するというのがその業界において認められるかどうか、という話になるわけです。
あくまでも法律で出来ることという範囲の話として、問題を回避するだけならこれでいい、という話をしたに過ぎません。
作品の作者に対して一定の保障をすべきであると考えるのであれば、ポジティブリストを作る、運用において無制限に著作権の無効化を活用せず、可能な限り作者の意思を尊重するルール作りを行う、などのやり方は当然に考えられると言うところになります。
作品の不備を修正したいと言った場合には、「発表する前にちゃんとチェックすべき」と言った倫理観もありうるところですが、不備がなくても「作品を自分のコントロール下に置きたいし、勝手に作品集に入れるなんて言語道断だ」という価値観だってあると思います。
そこに対して、法的な権利問題を解消しているのだから、多様な意見は排除する、として作者の意見を無視して作品集等に用いることが果たして良いことなのか、これは難しい問題だと言えます。もちろん、法的な問題をクリアしていたら、国家権力に強制されることがないので、無視しても何ら問題にはならないでしょう。個々人の人間関係が悪化するくらいです。
しかし、それが横行することになれば、その業界はそのようなことを自由にしてもいいのだ、と言う人しか流入しなくなる可能性があります。それで果たしていいのだろうか、と言うのが個人的に憂慮する問題です。

ある方は「(現実的に連絡を取ることが出来ない作家がいるが)出来ないからと言って、無視していい、何もしていいのか」と言う話に「そうではない」としながらも、「(連絡を取ることを前提にしていたら)結果的に『理想の作品集』にならない」と言いました。
連絡を取ることを前提にしていたら、理想の作品集にならない、というのであれば、これは理想の作品集を作るには、作者に連絡を取らなくてもかまわない、ということを意味します。論理的な対偶関係から言えることです。
にもかかわらず、「出来ないからと言って無視していいのか」というのには「そうではない」と言う。論理矛盾です。

現実的には困難であることは間違いありませんし、そこでどう折り合いをつけていくのかと言うのは非常に難しい問題です。
しかし、著作権の切れた小説、音楽などが出版されることになり、一時的に流通量が増えることが現実にもしばしば起こっていることであり、このような問題を正面から考えている業界では、この「連絡できないならやらない」と言うことはむしろ一般的に行われていることです。
それを、「その程度の理想」などと村の論理で議論するのは一向に構いません。しかし、それがいかに法的に、あるいは文芸美術の界隈から見て奇異なことであるのか、と言うのは直視すべき問題ではないでしょうか。
コミケ等の同人界隈も、著作権に関しては黙認によって成り立っているところが多々ありますが、しかしそれでも「商業ベースでやらない」という線引きがあるとも言います(というか商業マターになった場合、権利者が動く場合が多い)。
しかし、詰将棋界はこれが商業ベースで行われると言う状況にあります。これが本当に、「法律馬鹿が何か言ってるぞ、邪魔臭いなぁ」「実情も知らんやつが口だけ達者で、言うだけ番長だね」と言う話なのか、私は違うと思います。

著作権と詰将棋:著作権の制限や他の分野について

前に、著作権と詰将棋において、著作権のざっくりとした解説と、それを詰将棋に当てはめた場合にどうなるかについて解説をしました。
しかし、前のブログ記事でも書いたように「複製権にはさまざまな例外がある」と言ったような部分、即ち著作権にはいくつもの制限が存在していると言う点については解説していませんでした。
そこで、今回の記事では、それら著作権に付属する制限について説明するとともに、その流れで、判例を見ていき、他の分野では著作権がどのように活用されているかを見ていこうと思います。

1.著作権の制限とは

著作権の制限とは一体どういうことなのでしょう。
一つの例で考えてみると分かりやすいと思います。
このブログでは詰将棋との関係で著作権を取り上げていますので、詰将棋を例にしましょう。

例:あなたはある雑誌に掲載された詰将棋を、盤に並べて手順を鑑賞しました。

とても単純な例ですが、これが著作権法との関係ではどのような問題が生じるでしょうか。
前のブログ記事の知識を基に考えると、これは「複製権」の問題であることが分かります。
つまり、雑誌に載っている著作物たる詰将棋※を、自らの盤に複製して表現しなおした、と言うことになるわけです。
※なお、前の記事で書いた詰将棋は「図面、変化紛れなどを総合してみた場合には表現として認められると考えて良い」ということを前提としています。
しかしながら、このようなことを複製権の侵害に当たるとして、著作者の権利侵害の主張を認めてしまうことは妥当ではありません。
前の記事にも書きましたが、著作権法は「文化の発展」のために存在しているのであり、著作権によって文化はむしろ守られるというのが法律の建前となっており、このような複製行為を権利侵害としてしまうのは、文化の発展に全く寄与しない過度な制限になり、法の趣旨に反することになります。
そこで、このような問題を法律はどう考えるか、ということになりますが、簡単に言えば「著作権侵害に該当しないことにする」ということになります。
これが、「著作権の制限」になるのです。

2.著作権の制限の内容
2-1 総論
著作権の制限と言っても、具体的にはどのようなことが認められているのでしょうか。
これについても、著作権が支分権と言う形で細かく規定されていたように、著作権の制限も著作権法30条から49条までに細かく規定されています。
ここで一つポイントなのは、いわゆる「フェアユース」の規定は日本の著作権法には存在しないと言うことです。
フェアユースとは、アメリカの著作権法などで認められている著作権の制限規定であり、他の条文で認められているような著作権の制限に当たらない場合でも、妥当な著作物の使用行為を認めようという規定のことを言います。
法律が予定しておらず、そのために形式的に著作権侵害になってしまう場合でも、その行為を権利侵害にしてしまうのはおかしいよねと言う場合に備えて、それを救済する、と言う考え方に基づきます。
ポイントなのは、日本の著作権法はこのような規定を設けておりません。
法改正の機会に、フェアユースの導入が検討されましたが、著作権の制限の規定をより一般的網羅的にするに留まり、フェアユースの導入は見送られたと言う経緯もあって、日本においてはフェアユースの主張は認められない、と言うのが判例学説の大勢になります。
これはつまり、著作権法30条から49条にあたるもの以外では、各種支分権に抵触する行為は全て著作権侵害にあたると言うことを意味します。

このブログでは、著作権法30条の「私的使用のための複製」と32条の「引用」について解説しようと思います。

2-2 私的使用のための複製

著作権法30条は以下のような条文になっています。

第三十条  著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

この条文は一般に以下の2点がポイントとなります。

1.複製の目的が私的使用である
2.複製の主体が私的使用をする者である

まず一つ目の目的が私的使用という点ですが、条文のとおり、範囲の問題と言えます。
個人や家庭内、またはそれに準ずる限られた範囲内というのは、人数が少なく、それぞれの人間に個人的な結合関係が存在することが前提となります。
少数の友人との間の貸し借りにおいてコピーをする場合などはOKかな、という形でしょうか。
二つ目の複製の主体が私的使用をする者というのはそのままで分かると思います。

著作物の私的使用の場合、より注目すべきは、「次に掲げる場合を除き」と言う一文でしょう。
一定の条件の下では、私的使用に当たるような複製行為でも、著作権の侵害になるので注意が必要です。

一つ目が、文書・図画を複製するためのもの以外の複製機で、公共の利用に供することを目的に設置されている複製機を使う場合です。
「文書・図画を複製するためのもの以外」という条件が入っているのは、コンビニ等のコピー機でのコピーを除外するためです。附則の5条の2で経過措置としての条項で、いずれコンビニでのコピーも著作権侵害になる可能性はあります。今はコンビニコピーは私的使用である限り大丈夫と言うことになります。
要するに、音楽とか映像作品とかを複製するための機械でのコピーが禁止されているのですね。そういうコピー機がどういったところに設置されているのかは私は知りませんが、たとえば図書館のような場所でそういう機械があったとしても、著作物を持ち込んでコピーしてはダメということになります。

二つ目が、技術的保護手段を回避するような場合。要するにコピープロテクトを突破する場合です。ポイントなのは、コピーガードを外した段階で違法になるような場合もあると言うところです。
これ自体、私はどうかと思うところはあったりします。コピーガードの仕組みを駆使すれば、きわめて複製が困難になる状況を技術的には可能ですし、データの入った媒体が壊れたらそれでおしまい、バックアップも無理です、という状況を生みうる方式なのは間違いありません。
そうすると果たしてこれが文化の発展に寄与するのか、と言うのは一つ考察すべきポイントではあると思います。
一方で近年のデジタル社会においては、デッドコピーがきわめて容易になり、海賊版の流通が著作者の権利を重大な形で侵害することもしばしば起こっています。それを考えると、このような保護が必要である、と言う理屈も当然に成り立つわけです。
これらのバランスを考えると、結局のところ制度をどう活用するか、によってバランスを保つと言うことになるのだとは思いますが、技術的保護手段の施された著作物は、いかなる事情があってもコピーしたら違法、と言うことになるので、使いにくい制度になっている、と言う側面があると思います。海賊版対策にプロテクトをかけたいけれど、個人が楽しむ分には許可したい、と言う場合は著作者の黙認によるしかない、というのはなんとも据わりが悪い気がします。

脱線しました。閑話休題。三つ目がざっくり言ってしまえば、違法アップロードされたものをダウンロードする行為です。これは「録音録画」がダメと言うことになっているので、音楽や動画が対象になります。
また、ブラウザのキャッシュにどうしても入ってしまうような場面については、別の条文で許容されています。
つまりはまぁ、確定的に保存する意思で、違法なものを保存した場合はダメ、ということですね。
上述した、詰将棋を盤に並べて鑑賞する行為は、この私的使用の複製に当たるということができるので、複製権の侵害にはならない、と考えることが出来るでしょう。

2-3-1 引用:概説

次に解説するのは引用。著作権法32条は以下のような文面になっています。

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

条文の構造から、著作権法上認められる引用は以下のことが整理できることになります。

1.引用で利用する著作物は公表された著作物であること
2.引用であること
3.公正な慣行に合致する引用であること
4.引用の目的上正当な範囲内で行われること

ここで問題となるのは、「公正な慣行って何?」と言う点と「正当な範囲内とは?」という点になります。
しかし、これを何の手がかりもなしに、考えるのは難しいため、裁判においてどのような判断がされているのかを参考にするのがよいということになります。

2-3-2 引用:判例

引用に関して、チェックしておきたい判例は結構数が存在します。それらを網羅的にみてみましょう。
また、扱う判例はすべて含まれているこちらの判例解説もみてみると面白いと思います。
なお、この項目では判例の紹介に重点を置き、解説は次の項目で行いますので、読むのが面倒でしたら飛ばしてもかまわないと思います。

1.最高裁判決昭和55年3月28日 パロディ・モンタージュ事件

この裁判では、写真作品を利用して合成写真を作る、モンタージュ作品を作り、作品集や週刊誌に掲載したことが、著作権侵害に当たるのではないかと言うことで争われたものです。
この判例では、引用について以下のように判示しています。

「引用とは、紹介、参照、論評その他の目的で事故の著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録することをいうと解するのが相当であるから、右引用にあたるというためには、引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、右両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」

なお、この判例では、モンタージュ作品については、合成写真であることからも、二つの著作物を明瞭に区別出来ないこと、また表現形式上従たるものとして引用されているということはできないとして、引用に当たらないことが判示されています。

2.知財高裁判決昭和60年10月17日 藤田嗣治事件

美術全集・論集のなかに藤田嗣治の絵画の複製物を許諾なく掲載した出版社を、著作権者が訴えた事件です。
この裁判では、上記最高裁判例の引用の条件を参考にしつつ、主従関係について以下のように判示しています。

「主従関係は、両著作物の関係を、引用の目的、両著作物のそれぞれの性質、内容及び分量並びに被引用著作物の採録の方法、態様などの諸点に亘って確定した事実関係に基づき、かつ、当該著作物が想定する読者の一般的観念に照らし、引用著作物が全体の中で主体性を保持し、被引用著作物が引用著作物の内容を補足説明し、あるいはその例証、参考資料を提供するなど引用著作物に対し付従的な性質を有しているに過ぎないと認められるかどうかを判断して決すべき」

なお、この判例では、この美術全集・論集が対象とする時代の洋画についての美術史としての書籍の性格を認めながらも、掲載された藤田嗣治の絵画について、論文の記述とは関係なく鑑賞の対象となる美術性に優れたものであるとして、論文に対する従たる性格のものではないとして、引用ではないと判断されています。

3.知財高裁平成22年10月13日判決 美術品鑑定書事件

絵画の鑑定書に縮小カラーコピーを添付し、パウチラミネート加工を施していたところ、この縮小コピーが著作権侵害にあたるのではないかと争われた事件です。
本判決では引用に関して以下のように判断されています。

「他人の著作物を引用して利用することが許されるためには、引用して利用する方法や態様が公正な慣行に合致したものであり、かつ、引用の目的との関係で正当な範囲内、すなわち、社会通念に照らして合理的な範囲内のものであることが必要であり、著作権法の上記目的をも念頭に置くと、引用としての利用に当たるか否かの判断においては、他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか、その方法や態様、利用される著作物の種類や性質、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などが総合考慮されなければならない」

そして、判決に際しては以下のように諸点を総合考慮しています。
・コピーを添付したのは鑑定書の鑑定対象である絵画を特定し、鑑定書の偽造を防ぐ目的がある
・上記目的のためには一般的に見ても、鑑定対象の絵画のコピーを添付することが確実であって、必要性・有用性も認められる
・著作物の鑑定業務が適正に行われることは、著作物の価値を高め、著作権者等の権利の保護を図ることにつながる
・上記要素から著作権法の規定する引用の目的に含まれる
・パウチラミネート加工によって、鑑定書とコピー部分を分離して利用されることは考えがたい
・本件鑑定書は絵画と所在を共にすることが想定されており、各絵画と別に流通することも考えがたい
・上記要素から、社会通念上、合理的な範囲内にとどまる
・コピーが美術書等に添付されて頒布された場合などとは異なり、著作権者が複製権を利用して経済的利益を得る機会が失われるなどと言うことも考えにくい
・以上より、著作権法上認められる引用と判断される

判例の考え方と法律の解釈

以上、3つの判例を紹介しました。これらの判例について、解説するとともに、著作権法との関係を考えていきます。
まず1つ目の判例ですが、これは最高裁判決でもあることから、先例としては重要度は高い判例です。
この判決では、引用であるためには引用する側と引用される側が明瞭に区別できるという「明瞭区別性」と、引用する側が主、引用される側が従という「主従関係」という二つの条件があることを示しました。
ポイントはこの判例が、著作権法が改正される前のものであり、現行の著作権法の文言との関係が不明瞭と言うことにあります。
2つ目の判例は、現行の著作権法になった後の判例であり、明瞭区別性と主従関係に基づいて判断がされたと言うことになります。
この判例のポイントは、主従関係を判断する方法を詳しくしたというところにあります。まぁ、判例にはかなりありがちなんですけれど、いろんなことを考慮して総合的に判断しよう、と言う感じになってしまうのもですね。
そして、この判例でも、公正な目的に合致することや引用の目的上正当な範囲内であることといった法律の文言との関係性も明らかにならなかった。
そして、最近の判例では、この明瞭区別性や主従関係を特に指摘しない判例が出てくるようになっています。代表的なものとしてあげたのが3つ目の判例。
これは法律の文言である公正な慣行や目的上正当な範囲内といった部分との整合性を重視した判例であるということが出来ます。
これら判例を考えると、明瞭区別性や主従関係が重視されていた時代から、法律の文言により忠実な解釈が中心になってくると言ったような変遷が見られます。
しかし、旧法下のものとはいえ、最高裁判決において示された明瞭区別性や主従関係が全く無視していいものかというと、これはよく分からないと言うことが出来ます。
現行法上は、先に示したように、「引用であること」「公正な慣行に合致すること」「目的上正当な範囲内であること」という内容を示していますが、学説では、このうち「引用であること」の判定に明瞭区別性や主従関係が重要になってくると言う考え方もあります。
いずれにせよ、明瞭区別性や主従関係については一要素として考えておいたほうが無難かもしれません。
その上で、判例で示されたような諸般の事情を考慮していくことになるでしょう。
美術品鑑定書事件では
・他人の著作物を利用する側の利用の目的
・その方法や態様
・利用される著作物の種類や性質
・当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度
が例示されていることが分かります。

3.詰将棋と著作権の制限

以上のように、著作権の制限のうち、私的使用と引用に関して一通り確認してみました。
とても難しかったと思います。私も書いていて、どうやってまとめたらいいのか、説明が難しいと思っていました。
ここからは、具体的な詰将棋における事例を見ながら、それが著作権法ではどのような扱いになるのか、と言うのを検討してみようと思います。

まずは、盤に並べる、と言う具体例ですが、これはすでに書いたように、私的使用の範囲内で間違いありませんから、複製権の侵害にはなりません。

では、全国大会はどうでしょうか。全国大会では、さまざまな場面で詰将棋がプロジェクターを通して映し出され、手順が再生されると言うことがありました。また、それに先立って印刷されたものが配布されています。これは形式的にみれば著作権法上の複製であることは間違いありません。
ではこれらは、複製権の侵害になるのでしょうか。
たとえば、前夜祭の「連合の研究」ではいくつもの作品がスクリーン上で再生されていました。これは形式上は複製に当たることは間違いありません。
しかしながら、連合の研究において、作品の紹介は、連合の理論分類における具体例として紹介されたものでした。
明瞭区別性は十分に認められるというところでしょう。主従関係は藤田嗣治事件をみると実は微妙かもしれません。
とはいえ、近年の判例の傾向を見ると、主従関係よりも公正な慣行や正当な範囲というものを考えると、分類研究において具体例を示すことは社会感覚としては妥当と言えるでしょう。
当該講義においては、作品の手順を最初から最後まで全部見せるシーンがいくらかあり、それが法的に見た場合には「正当な範囲」を超えていた可能性はあるかもしれないな、という懸念はあるものの、全体としてみた場合には、おそらく引用として認められるだろうというのが大体の感触ではないかと思います。
判例を見ていると、かなり厳しい判断がされているものもあるので、それを考えると、それでも油断ならない、とは言えるかもしれません。

他の場面はどうでしょうか。看寿賞解説やアマレン杯握り詰解説は作品紹介そのものが目的であり、これはおよそ引用とはいえないでしょう。複製権との関係性が問題となると言えます。
とはいえ、握り詰に関しては、全国大会で紹介され投票すると言う形式において投稿された作品ばかりであります。そう考えると、そもそも全国大会で複製利用することを許諾していなければおかしな話になります。
つまり、握り詰は著作権者が複製して良い、と言っていると考えられるわけです。
看寿賞解説はどうなるでしょうか。今回は作者が全員揃っており、解説の場でも誰も異を唱えなかったことからしても、黙認されている、と考えることが出来ます。また、全国大会において看寿賞作品が解説されるのは毎年の慣例であり、授賞時点で著作権者が何も言わない場合、黙示の承諾があると考えることが出来るかもしれません。

最後に

なんだか取り留めのない記事になってしまいましたが、私的使用や引用についてある程度把握できたのではないかと思います。
紹介した判例や、判例解説をしたリンク先の記事などを読むと分かると思いますが、引用と言うのは単に紹介ができるというものではなく、目的や正当な範囲といった条件を満たして初めて認められるものなのです。
リンク先にある判例の中には、チケットに印刷されたものも著作権侵害が認められるなど、著作権について争いになれば、権利者はかなりいろんなことが出来ることがわかると思います。
今年は、詰将棋界では有力なアンソロジーがいくつか出版されますが、これらが法的に見たときには、著作権者の黙認の上に成り立っているというのは疑いのない事実でしょう。
これは、誰かが、権利を主張して、異を唱えた瞬間に頓挫してしまう性格のものであることは疑う余地はないと思います。
このサイトの事例20に挙げられている判例のように、詰パラや将棋世界の出版元に著作権があると言うのは難しいでしょう。
著作権の許諾の問題については裁定制度というものもあり、誰かが訴えたら、制度の趣旨との関係でも、ほぼ間違いなく負けてしまいます。
現状の黙認文化に支えられている詰将棋界は、誰かが行動を起こした瞬間に崩壊してしまうのです。いつまでも、この問題に目を瞑っていてはいけない、と言うのが私の考えなのです。ちゃんと対策を立てて、堂々と胸を張って作品を使えるような環境を整備すべきではないのではないかと思います。
私の目から見ると、しばしば、著作権について誤った認識で発言する方は多いです。それは、著作権が法律上どのように規定されているかと言った知識や、どのように裁判で争われ、どのように問題になっているかと言った知識が不足しているからではないか、と個人的には思っています。
今回の記事と前の記事で、少しでも著作権の現状について理解を深めてくださったら、と切に願っているところであります。

 | ~home~ |  next→

プロフィール

結城 桃燈

Author:結城 桃燈
FC2ブログへようこそ!


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


ブログ内検索


RSSフィード


リンク

このブログをリンクに追加する